
今日は、コンサルタント会事務所の資料整理をしてきました。
外に出ると、とにかく暑い。気温は35℃。猛暑です。
その帰り道、驚く光景を目にしました。
私以外に歩いている人は居ません。前方から走っている人が・・・
この暑さの中をランニングしている人がいます。しかも帽子をかぶっていません。見たところ、水分を持っている様子もありません。
その姿を見た瞬間、私は、
「そんなに死にたいのか」
と感じました。
もちろん、その人が死にたいと思って走っているわけではありません。
むしろ、ここに人間の「リスク認知」を考える、とても興味深い問題があります。
「事故を起こそう」と思って事故を起こす人はいない
建設現場で事故が起きたとき、事故後の状況だけを見れば、
「どうして、そんな危険なことをしたのか」
「そんなことをすれば事故になるのは分かるだろう」
と思うことがあります。
しかし、作業していた本人はどうでしょう。
「これから事故を起こそう」
「この作業をすれば墜落するかもしれないけれど、やってしまおう」
などと考えて作業している人は、まずいません。
事故に遭わないと思っているから、その行動を選択しているのです。
今日見かけたランナーも同じです。
35℃という猛暑の中、帽子もかぶらず、水分も持たずに走っている。
外から見ている私には危険に見えます。
しかし、本人の頭の中では、おそらく違います。
「熱中症になるかもしれない」
ではなく、
「自分は大丈夫」
と判断しているから走っているのでしょう。
ここに、客観的なリスクと本人が感じているリスクとのズレがあります。
人間はリスクを客観的に見ているわけではない
リスク認知についての研究では、客観的なリスクと、人間が主観的に感じるリスクにはズレが生じることが知られています。
小松秀徳・杉山大志氏の論文では、このズレを「リスク認知バイアス」として扱い、人間はヒューリスティクス、つまり経験則や直感を使って素早く判断するため、リスクを過大評価したり、逆に過小評価したりすることがあると説明されています。
今日のランナーの場合、
「これまで暑い日にも走ってきた」
「今まで熱中症になったことはない」
「自分は暑さには強い」
といった経験があれば、それが判断材料になります。
すると35℃という数字よりも、
「今まで大丈夫だった」
という経験のほうが強く働いてしまう可能性があります。
「自分は大丈夫」という楽観性バイアス
もう一つ考えられるのが、楽観性バイアスです。
菊池聡先生は災害時のリスク認知について、災害で被害を受ける人がいることは理解していても、「自分にはその被害は及ばない」と楽観的に考える傾向を説明しています。
熱中症についても同じでしょう。
「猛暑日にランニングすれば熱中症になる危険がある」
これは知っている。
「熱中症で救急搬送される人がいる」
これも知っている。
それでも、
「でも、自分は大丈夫」
となる。
知らないから危険な行動をしているとは限らないのです。
知っていても、自分のこととしてリスクを認識できていない。
ここが重要なのだと思います。
「今まで大丈夫だった」が危険を小さくする
さらに怖いのが経験です。
昨日も走った。
先週も走った。
昨年の夏も走った。
何も起こらなかった。
すると、
「暑い日に走るのは危険だ」
ではなく、
「暑い日に走っても自分は大丈夫だ」
という経験が積み重なっていきます。
これは建設現場でもよく見られます。
「このやり方で10年間事故を起こしていない」
「いつもやっている作業だから大丈夫」
「この程度の高さなら落ちない」
そして今日も同じ行動をします。
しかし、
昨日まで事故がなかったことは、今日事故が起きないことの証明にはなりません。
今日見かけたランナーも、これまで何十回、何百回と暑い日に走って無事だったのかもしれません。
しかし、その経験が今日の安全を保証してくれるわけではありません。
自分で選んだリスクほど小さく感じる
さらに興味深いのが「自発性」です。
リスク認知の研究では、自分から選択した行動に伴うリスクは小さく評価されやすいことが指摘されています。小松・杉山氏の論文でも、自発性や利益がリスク認知に関係し、登山など自ら選ぶ冒険的行為ではリスクが過小評価される可能性が論じられています。
ランニングは誰かに強制されたものではありません。
健康のため。
体力づくりのため。
走るのが好きだから。
大会に出るため。
そこには本人にとって明確な「利益」があります。
だからこそ、
「健康のために走る」というプラスの目的が、「猛暑の中を走る」というリスクを見えにくくしている
とも考えられます。
何とも皮肉な話です。
事故を起こした人だけが特別なのではない
事故が起きた後、私たちは結果を知っています。
だから、
「なぜそんな危険なことをしたのか」
と思います。
しかし、その行動をする直前の本人には、まだ事故という結果は見えていません。
今日のランナーについても、無事に家に帰れば、
「今日もいい汗をかいた」
で終わるでしょう。
ところが途中で倒れて救急搬送されれば、
「なぜ35℃の中を帽子もかぶらず、水分も持たずに走ったのか」
という話になります。
同じ行動なのに、結果を知った後では見え方がまったく違ってしまうのです。
だから事故を考えるときには、
「どうしてそんな危険なことをしたのか」
だけではなく、
「なぜ、その人にはその行動が危険に見えなかったのか」
を考える必要があります。
「自分は大丈夫」と思ったときこそ、Stop-Look-Think
認知バイアスそのものをなくすことは困難です。
菊池先生も、認知バイアスは人間の思考の単なる欠陥ではなく、限られた認知資源の中で生活するための自然な働きであり、完全に排除できるものではないと指摘しています。そして、自分の認知にもバイアスがあることを自覚する「メタ認知」の重要性を述べています。
だから必要なのは、
「今、自分は大丈夫だと思っている。でも、本当に大丈夫なのか?」
と自分自身に問いかけることです。
そこで私は、
Stop ― いったん止まる
Look ― 周囲と自分の状態を見る
Think ― 本当に大丈夫なのか考える
という習慣が大切だと考えています。
35℃の中を走ろうとしたとき。
いつもの作業だから大丈夫と思ったとき。
「これくらいなら問題ない」と感じたとき。
そこでもう一度立ち止まる。
事故を起こしたい人はいません。
熱中症になりたい人もいません。
それでも事故は起こり、熱中症にもなります。
だからこそ安全を考える上で重要なのは、
「危険なことをするな」と言うだけではなく、人はなぜ危険を危険だと感じなくなるのかを知ることではないでしょうか。
今日、35℃の街中を走る一人のランナーを見て、そんなことを考えました。