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手渡し作業は禁止

安全

2025.06.18

足場材の受け渡しについて、上下作業になるため禁止との判断は正当性があるのか

高所作業における資材・工具の上下手渡し作業に関する安全対策と法的要件

1. はじめに

本レポートの目的と範囲

本レポートは、建設現場、製造業、物流業など、高所や異なる階層間で実施される資材や工具の「手渡し作業」、特に上下方向の移動を伴う作業に焦点を当て、その法的要件、潜在的なリスク、および適切な安全対策について包括的に解説することを目的としています。労働安全衛生の専門家としての知見に基づき、ユーザーが抱く「手渡し作業は上下ならばすべて禁止事項になるのか」という疑問に対し、労働安全衛生法規に基づく明確な回答と実践的な指針を提供します。

「手渡し作業」と「上下」の定義

「手渡し作業」とは、作業員が資材や工具を直接手で受け渡す行為を指します。本レポートでは、特に高所と地上、あるいは異なる階層間でのこの行為を「上下方向の手渡し作業」と定義します。この作業は、その性質上、重力の影響を直接受けるため、安全管理の重要性が極めて高いと認識されています。

労働安全衛生における重要性

上下方向の資材・工具の移動は、落下物による被災、作業員自身の墜落・転落、不適切な姿勢による身体的負担(特に腰痛)など、多岐にわたる労働災害のリスクを伴います。これらのリスクを低減し、安全で健康的な職場環境を確保するためには、関連する法的規制の遵守はもちろんのこと、それを超えた適切な安全管理措置の実施が不可欠です。本レポートでは、これらの危険性を具体的に分析し、予防のための実践的なアプローチを提示します。

2. 法的枠組みと基本原則

労働安全衛生法における「物体の投下」の原則禁止

労働安全衛生規則第536条の解説と適用条件

労働安全衛生規則第536条は、「労働者の危険を防止するための措置が講じられていないときは、3メートル以上の高所から物体を投下してはならない」と明確に定めています 。これは、高所からの物体投下が労働者に重大な危険を及ぼす可能性が高いため、原則として禁止されていることを意味します。

しかし、この規定には例外が存在します。具体的には、以下の「適切な措置」が講じられている場合に限り、3メートル以上の高所からの物体投下が認められます。これらの措置は、投下行為そのものによる危険を最小限に抑えるためのものです。

  • 適切な投下設備の設置: シューター(滑り台のような設備)など、投下物が周囲に飛散しないよう工夫された専用の設備を設置する必要があります 。
  • 監視人の配置: 投下作業中は、投下区域に他の労働者が立ち入らないよう監視する人員を配置することが求められます 。
  • 立入禁止区域の設定: 投下物が落下する可能性のある場所には、関係者以外の立ち入りを禁止する区域を設定し、表示を行う必要があります 。
  • 適切な声掛けの実施: 投下作業を行う際には、周囲の作業員や関係者に明確な声掛けを行い、安全を確認してから実施することが不可欠です 。

これらの措置は、単に「投下」が許容されるのではなく、投下に伴う危険性を極限まで管理するための前提条件として機能します。

「手渡し作業」と「投下」の法的区別

「手渡し作業」は、資材や工具を直接手で受け渡す行為であり、「投下」とは明確に区別されます。足場の解体作業においては、資材を上から下へ投げ落とすことは「論外」とされており、手渡しが基本的な方法であるとされています 。

労働安全衛生規則は、材料、器具、工具などを高所から地上へ上げ下ろしする際には、「つり綱、つり袋等を使用させること」を原則としています 。これは、不意の落下を防ぎ、安全を確保するための基本的な要件です。

しかしながら、この原則には重要な特例が存在します。規則では、「地上から資材を手渡しする際など、これらの物の落下により労働者に危険を及ぼすおそれがないときは必要ありません」と明記されています 。この特例は、全ての上下方向の手渡し作業が一律に禁止されているわけではないことを示しています。つまり、危険が予見されない特定の状況下においては、つり綱や吊り袋を使用せずとも手渡し作業が許容される余地があるのです。

この法的構造は、単なる禁止ではなく、リスクが管理可能であれば作業を許可するという考え方に基づいています。これは、作業の効率性と安全性のバランスを取るためのアプローチであると言えます。企業や現場は、個々の手渡し作業が「投下」に該当するのか、あるいは「危険を及ぼすおそれがない」と判断できる手渡しに該当するのかを、具体的なリスクアセスメントに基づいて判断する責任を負います。単に「手渡し」という行為そのものが禁止されているわけではなく、その行為が引き起こす可能性のある「危険」をいかに排除または低減するかが問われているのです。これは、現場での柔軟な判断を許容しつつも、その判断に高い安全管理能力を求めることを意味します。

一方で、「投げ渡し」は「投下」に近い行為として認識されており、たとえ法的要件を満たして投下設備等を設置したとしても、「非常に危険な行為」と評価されています 。これに対し、「手渡し」は、適切な条件下であれば許容される範囲にあるとされています。この違いは、

作業員が資材を直接制御しているか否かに起因します。投げ渡しは資材の軌道や着地が制御しにくく、飛散や落下のリスクが高いからです。したがって、現場では「手渡し」と「投げ渡し」を明確に区別し、後者は極力避けるべきです。前者の場合でも、「危険を及ぼすおそれがない」ことを厳格に評価する必要があります。特に高所作業においては、資材の移動は可能な限り機械的手段(つり綱、つり袋など)に頼るべきであり、手渡しは例外的な状況に限定するという、より安全志向の運用が推奨されます。これは、単なる法令遵守を超え、現場の安全文化を醸成する上での重要なポイントとなります。

3. 上下方向の資材・工具手渡し作業におけるリスクと対策

主要な危険性

上下方向の資材・工具手渡し作業には、複数の危険性が複合的に存在します。

  • 落下・飛来物による危険: 高所から工具や資材が落下することは、下の作業員や通行人に重大な傷害を与える可能性があります 。落下物の衝撃は高さに比例して大きくなるため、小型の工具であっても対策が必要です 。また、落下だけでなく、落下した工具や資材が足場や壁などに当たり、跳ね返ってくることによる「飛来」も危険な災害形態として認識されています 。
  • 作業員の墜落・転落: 資材の受け渡し時にバランスを崩したり、不安定な足場や作業床で作業を行ったりすることで、作業員自身が墜落・転落するリスクがあります 。特に、建設現場における足場からの墜落・転落は、労働災害の主要な原因の一つとして多く発生しています 。
  • 身体的負担(腰痛など): 重量物の手渡し作業は、不自然な姿勢(前屈、中腰、ひねりなど)や急激な動作を伴いやすく、腰痛などの身体的負担を引き起こす可能性が高いです 。特に、人力での運搬距離が長くなったり、階段昇降を伴ったりする場合は、腰部への負担が増大し、リスクが高まります 。
  • その他の危険: 強風時の作業は、資材が風にあおられて落下するリスクを著しく高めます 。また、作業員間の声掛け不足による連携ミスも、不意の事故につながる重要な危険要因です 。

安全対策の具体例

これらの複合的なリスクに対応するためには、多角的な安全対策を講じる必要があります。

作業計画、指揮命令、区域設定

  • 作業計画と指揮: 作業を行う前に、具体的な方法を決定し、作業を直接指揮する責任者(作業主任者など)を配置することが義務付けられています 。責任者は、器具・工具の事前点検、保護具の使用状況の監視を徹底する必要があります 。複数人での作業時には、作業員間で十分な連絡と連携を図ることが不可欠です 。
  • 上下作業の禁止と区域設定: 上方と下方で同時に作業員がいる場合の上下作業は原則禁止とし、資材の落下や飛来による危険を防ぐため、作業スケジュールを調整します。例えば、午前中に上の階で作業を行い、午後から下の階で作業を実施するといった工夫が有効です 3。高所作業時には、工具や資材の落下を想定し、作業区域の下方に立入禁止区域を設定することで、関係者以外の立ち入りを厳しく制限します 。

補助機器・設備の活用(投下設備、落下防止ネット等)

  • 投下設備(シューター): 3メートル以上の高所から物体を投下する際には、シューターなどの専用投下設備を設置し、投下物が周囲に飛散しないような構造とすることが必須です 。
  • 機械的手段の優先: 材料、器具、工具の上げ下ろしには、つり綱や吊り袋、クレーン、フォークリフト、台車などの機械的手段を優先的に使用すべきです 。特に高所での作業では、吊り道具を用いた確実な上下作業が求められます 。
  • 落下防止ネット・防網: 物体が落下して危険を及ぼすおそれがある場合は、防網の設備を設けたり、立入区域を設定したりする措置を講じます 。作業床の端部には、資材の落下を防ぐために高さ10cm以上の幅木やメッシュシート、防護ネットなどを設置することが義務付けられています 。
  • 落下防止ロープ・リール: 工具や部品の落下防止のため、これらをロープやワイヤーなどで作業員と繋いでおく方法も有効な対策です 。

保護具着用と声掛け・合図の徹底

  • 保護具の着用: 高所作業や飛来・落下物のある場所で作業を行う労働者には、保護帽(ヘルメット)の着用を義務付けます 。必要に応じて、体にもガードを装着するなどの追加的な保護措置を講じることもあります 。また、安全帯の適切な使用も墜落防止のために極めて重要です 5
  • 声掛け・合図: 資材の投げ渡しや受け渡し時には、声掛けをしっかりと行い、相手からの返事を確認してから作業を実施します。一方的な呼びかけは危険行為であり、ルール違反となります 。作業開始前の「指差呼称」は、現場の安全上の不具合を発見し、意識を高める上で有効な手段です 。

天候条件と作業スケジュール調整

  • 強風、大雨、大雪などの悪天候時は、資材が風にあおられて落下したり、作業員がバランスを崩して転落したりするリスクが著しく高まるため、作業を中止する基準を明確に設定し、厳守すべきです 。
  • 風による資材の飛散を防ぐため、使用しているシートやネットは外れないようしっかりと縛り、安全コーンや看板などは固定するか、必要に応じて収納することを検討します 。

上下作業の手渡しは、落下・飛来物、作業員の墜落・転落、腰痛などの身体的負担という複数の異なるリスクを同時に抱えています 。これらのリスクは相互に関連し、一つの対策が他のリスクに影響を与える可能性もあります。例えば、手渡しを避けて機械を使用することで落下リスクは低減されますが、機械操作に伴う新たなリスクが生じる可能性も考慮しなければなりません。したがって、単一の対策では不十分であり、

技術的対策(設備)、管理的対策(手順、区域)、人的対策(保護具、教育、声掛け)を組み合わせた多層的なアプローチが不可欠です。現場の安全管理者は、個々の危険性だけでなく、それらが複合的に作用する可能性を考慮した統合的なリスクマネジメント計画を策定する必要があります。これは、単に法令を遵守するだけでなく、現場の特性に応じたカスタマイズされた安全対策を講じることの重要性を示唆しています。

ヒヤリハット事例からは、声掛け不足や、時間がない・面倒くさいといった理由での危険行為が事故につながる可能性が示唆されています。また、作業手順の誤り、安全の不確認、不意の危険に対する措置の不履行、合図・確認なしに物を動かすなどの「不安全な行動」も報告されています 。これらの事例は、作業員の「不安全な行動」が事故の直接的な原因となることが多いことを示しています。しかし、これらの行動の背景には、

時間的プレッシャー、知識不足、コミュニケーション不足、あるいは安全意識の欠如といった「不安全な状況」や「不安全な状態」が潜んでいることが多いのです 。したがって、ヒューマンエラーを防止するためには、単に「注意しろ」と指示するだけでなく、作業手順の標準化 、十分な安全教育 、明確な指揮命令系統 、そして声掛けや合図を徹底させるためのコミュニケーション文化の醸成が不可欠です 。また、無理な作業をさせないための人員配置やスケジュール管理も重要となります 。これは、安全が個人の責任だけでなく、組織全体のシステムと文化によって支えられるべきものであることを強調しています。

4. 重量物の手渡し作業に関する特別な考慮事項

腰痛予防対策指針に基づく重量制限

人力による重量物の運搬は、腰痛などの職業性疾病のリスクを伴うため、厚生労働省の「職場における腰痛予防対策指針」に基づき、推奨される重量制限が設けられています 。

  • 男性(18歳以上): 法令上の明確な制限はありませんが、「体重のおおむね40%以下」に努めることが推奨されています 。かつては「55kg」という目安がありましたが、腰痛災害の増加を受けて2013年にこの規定は廃止され、より個人の身体特性に応じた配慮が求められるようになりました 。
  • 女性(18歳以上): 「男性が取り扱う重量の60%程度」に留めることが義務付けられており、妊娠中および産後1年間は重量物の持ち運びが禁止されています 。
  • 年少者(18歳未満): 労働基準法に基づき、年齢に応じて厳格な重量制限が設けられています 。

これらの指針は、断続作業(必要な時に行う積み下ろし作業など)と継続作業(連続して行う荷物の仕分け作業など)で異なる推奨値を持つことが示されています 。

以下に、重量物運搬の法的制限と推奨値をまとめた表を示します。この表は、現場の管理者や作業員が、個々の作業員の身体能力や法的要件に基づいた適切な重量物取り扱いを判断するための具体的な基準を提供します。これにより、腰痛などの職業性疾病のリスクを具体的に低減するための行動を促すことが期待されます。また、法令遵守だけでなく、より安全な「推奨値」を示すことで、予防的な安全管理を奨励します。

表: 重量物運搬の法的制限と推奨値(人力による運搬)

複数人での運搬と身長差の考慮

規定の重量制限を超える荷物を取り扱う場合、または重量物であると判断される場合は、必ず2人以上で運搬することが義務付けられています 8。複数人で運搬する際は、各作業者が負担する重量が均等になるよう配慮することが重要です。特に、身長差の少ない労働者同士を組み合わせることで、姿勢の不均衡や片方への過度な負担を防ぐことができます 。

作業姿勢と動作の改善

腰痛予防のためには、作業姿勢と動作の改善が不可欠です。

  • 不自然な姿勢の回避: 前屈、中腰、ひねり、後屈ねん転などの不自然な姿勢を避け、体ごと向きを変え、作業対象に身体をできるだけ近づけて作業します 。
  • 適切な持ち上げ方: 持ち上げる、引く、押す等の動作では、膝を軽く曲げ、呼吸を整え、下腹部に力を入れながら行います。特に、腰を重心にして持ち上げるのではなく、膝を曲げ、背筋を伸ばした「ひざ型」の姿勢で足や膝の力を使うことが推奨されます 。
  • 同一姿勢の回避と休憩: 長時間の同一姿勢を避け、適宜小休止や休息を取り、下肢の屈伸運動やマッサージ、ストレッチなどを行うことが望ましいとされています 。
  • 補助具の活用: 台車やリフト、手カギ、吸盤などの補助具を積極的に活用し、荷物の小分けや持ちやすい工夫を施すことで、人力による負担を軽減します 。人力での階段昇降は避け、省力化を図るべきです 。
  • 足元の安全確認: 転倒やすべりなどを防止するため、足元や周囲の安全を確認し、不安定な姿勢や動作を避けることが重要です 。

腰痛予防は、個人の身体能力の制限だけでなく、作業環境と作業方法の設計に大きく依存しています。単に「重い物を運ぶな」というだけでなく、「どうすれば安全に運べるか」「運ばなくて済むか」という視点が重要であると言えます。これは、人間工学的なアプローチが労働安全衛生において不可欠であることを示唆しています。企業は、作業員の身体的特性を考慮した上で、作業の自動化・省力化(台車、リフト等の導入)、作業姿勢の指導、休憩の義務化など、包括的な腰痛予防対策プログラムを策定し実施する必要があります。特に、重量物の手渡し作業においては、個人の能力に過度に依存せず、システムとしての安全性を高めることが、長期的な労働者の健康維持と生産性向上に繋がります。

男性(18歳以上)には重量物運搬の明確な法的制限がないにもかかわらず、「体重のおおむね40%以下」という推奨値が示されている点は注目に値します。また、過去には55kgの制限があったものの、腰痛が増加したため2013年に廃止されたという経緯があります。これは、法令上の「禁止」や「制限」がないからといって、それが「安全」を意味するわけではないことを示唆しています。腰痛の増加という過去の経験は、

「事後対策」から「未然防止」への意識転換が不可欠であることを明確にしています。推奨値やガイドラインは、法的義務を超えて、より高いレベルの安全を追求するための指針であると言えます。企業は、最低限の法令遵守に留まらず、労働者の健康と安全を積極的に守るための「予防原則」に基づいた安全管理体制を構築すべきです。これは、リスクアセスメントを通じて潜在的な危険性を事前に特定し、それに対する対策を講じるという、よりプロアクティブなアプローチを意味します。重量物手渡し作業においても、法的制限だけでなく、腰痛予防指針の推奨値を積極的に取り入れることで、労働災害の発生を未然に防ぐことができます。

5. リスクアセスメントの実施と安全教育の重要性

リスクアセスメントの義務と手順

労働安全衛生法改正により、事業場規模にかかわらず、職場における潜在的な危険性や有害性を特定し、リスクを見積もり、その結果に基づいて必要な措置を実施する「リスクアセスメント」の実施が努力義務化されています 。リスクアセスメントは、労働災害の「芽(リスク)」を事前に摘み取り、「未然防止」を適切に行うための極めて重要な手段です。

リスクアセスメントの手順は、以下のステップで構成されます。

  1. 危険性・有害性の特定: 作業工程、使用する設備、原材料、作業行動などから、潜在的な危険性や有害性を洗い出します 。手渡し作業においては、落下物、墜落、腰痛、挟まれ、衝突などの危険要因を具体的に特定します。
  2. リスクの見積もり: 特定された危険性・有害性によって労働災害が発生する可能性の度合いと、その災害が発生した場合の重篤度を組み合わせて、リスクの大きさを評価します 。
  3. リスク評価: 見積もられたリスクの大きさに基づいて、対策の優先度を決定します 。
  4. リスク低減措置の検討・実施: 評価されたリスクを排除または低減するための具体的な措置を検討し、実施します 。これには、作業方法の変更、設備の導入、保護具の着用、教育訓練などが含まれます。
  5. 記録: 実施したリスクアセスメントの結果と講じた措置を記録し、保管します 。

手渡し作業においても、このプロセスを通じて具体的な危険要因を洗い出し、それに対する適切な対策を講じる必要があります 16

ヒヤリハット・事故事例からの教訓

厚生労働省の「職場のあんぜんサイト」には、多数のヒヤリハット事例が掲載されており、高所からの落下物、不安定な足場からの転落、重量物運搬時の腰痛など、手渡し作業に関連する危険事象も多く報告されています 8。これらの事例からは、労働災害を未然に防ぐための貴重な教訓が得られます。

  • 安全意識の欠如: 脚立の天板に乗る、保護具を着用しない、声掛けを怠るなど、基本的な安全ルールが守られていないケースが散見されます 。
  • 作業環境の不備: 通路の障害物、濡れた床、不安定な足場など、物理的な危険要因が放置されている状況が事故につながることがあります 。
  • 計画・指揮の不足: 単独作業、役割分担の不明確さ、作業監督者の不在が、作業の危険性を増大させます 。
  • 疲労・無理: 長時間作業による握力低下や、作業員が想像していた以上の重量物による転倒リスクなど、身体的限界を超えた作業が危険を招くことがあります 。
  • コミュニケーション不足: 医師の指示聞き逃し(医療現場)や、声掛けなしの資材受け渡しなど、円滑な情報伝達の欠如が事故の原因となることがあります 。
  • 不安全な行動: 「手渡しの代わりに投げる」といった不安全な行為も、ヒヤリハットの具体例として挙げられています 。

安全衛生教育の徹底(雇入れ時教育、特別教育、手順標準化)

これらの教訓を踏まえ、安全衛生教育の徹底は、労働災害防止の要となります。

  • 雇入れ時教育: 新たに業務に就く労働者に対し、機械・原材料の危険性、安全装置の使用方法、作業手順、作業開始時の点検、疾病予防、整理整頓、応急措置など、業務に関する安全衛生に必要な事項を教育することが義務付けられています 。手渡し作業のリスクと安全な実施方法も、この教育内容に含めるべきです。
  • 特別教育: 足場の組立て・解体または変更のための業務を行う者は、「足場の組立て等作業従事者特別教育」の受講が義務付けられています 。この教育は、高所作業における資材の受け渡しを含む業務の安全性を高めるための重要な法的要件です。
  • 作業手順の標準化: 作業を具体的なステップに分解し、「誰が」「何を」「どのように」行うかを明確にした作業手順書を作成することが重要です 。各ステップにおける危険・有害要因と安全上の注意点(急所)を明示することで、作業者間の食い違いをなくし、安全衛生活動の標準化を図ります 。
  • 継続的な教育と訓練: 定期的な安全衛生教育、リスクアセスメントの結果に基づく教育、ヒヤリハット事例の共有、VR技術を活用した危険体感教育なども有効です 。

リスクアセスメントで特定された危険性や必要な対策は、そのまま安全教育の具体的な内容となるべきです。教育は単なる知識伝達ではなく、リスクを「自分ごと」として認識させ、安全行動を促すための実践的なツールです。これにより、「リスク特定→対策立案→教育→実践→効果検証→再アセスメント」という継続的な安全改善サイクルが生まれます。企業は、リスクアセスメントを単なる「努力義務」としてではなく、安全管理の核として位置づけ、その結果を安全教育のカリキュラムに積極的に反映させるべきです。特に、手渡し作業のような日常的かつ多発する作業においては、ヒヤリハット事例を教育に組み込むことで、具体的な危険をイメージさせ、労働者の安全意識と行動変容を促すことができます。これは、安全管理が一度行えば終わりではなく、継続的な改善を要するプロセスであることを示しています。

ヒヤリハットの報告が増えることは、現場の安全意識が高まり、潜在的な危険が顕在化する前に共有され、対策が講じられる機会が増えることを意味します 。B建設業の事例では、特別教育導入後に新入社員の「ヒヤリ・ハット」報告が増加し、それが重大事故の未然防止に貢献したと報告されています9。これは、

失敗から学び、それを組織全体で共有し、改善に繋げる「学習する組織」の文化が安全管理において極めて重要であることを示しています。企業は、ヒヤリハットを罰するのではなく、積極的に報告を奨励し、その分析を通じて根本原因を特定し、再発防止策を講じる体制を構築すべきです。特に手渡し作業のような日常業務においては、小さな危険の芽を見逃さず、それを組織の安全知識として蓄積し、教育や作業手順の改善に活かすことが、より強固な安全文化を築き、最終的に重大災害の防止に繋がります。

6. まとめと推奨事項

手渡し作業の可否に関する結論

上下方向の「手渡し作業」は、一律に禁止されているわけではありません。その可否は、作業の具体的な状況、特に「危険を及ぼすおそれ」の有無と、講じられている安全対策の程度によって判断されます。

  • 「物体の投下」と見なされる行為、特に3メートル以上の高所からの投下は、投下設備、監視人の配置、立入禁止区域の設定、適切な声掛けといった厳格な安全措置が講じられない限り、労働安全衛生規則第536条により禁止されます 。
  • 足場作業における資材の上げ下ろしは、原則として「つり綱、つり袋など」の使用が求められますが、「地上から資材を手渡しする際など、物の落下により労働者に危険を及ぼすおそれがないとき」は例外的に手渡しが許容されます 。
  • しかし、「投げ渡し」は禁止ではないものの、資材の制御が難しく、飛散や落下のリスクが高い非常に危険な行為であり、極力避けるべきです 。
  • 重量物の手渡し作業は、腰痛予防の観点から、性別・年齢に応じた推奨重量があり、不自然な姿勢を避け、補助具や複数人での運搬が強く推奨されます 。
  •  

安全な作業環境構築のための包括的提言

安全な作業環境を構築するためには、単に法令を遵守するだけでなく、より積極的かつ包括的なアプローチが求められます。

  • リスクアセスメントの徹底と継続的改善: 全ての上下方向の手渡し作業に対し、具体的なリスクアセスメントを定期的に実施し、潜在的な危険性を特定し、適切なリスク低減措置を講じることが不可欠です。これは一度きりではなく、作業内容や環境の変化に応じて継続的に見直しを行うべきです 。
  • 機械化・省力化の推進: 可能な限り、つり綱、つり袋、シューター、フォークリフト、台車などの補助機器や設備を導入し、人力による上下移動や重量物運搬のリスクを低減します 。
  • 作業環境の整備: 落下防止ネット、幅木、立入禁止区域の設定、足場の適切な設置・点検など、物理的な安全対策を徹底します 。強風時など悪天候下の作業は中止する基準を明確にし、厳守すべきです 3
  • 安全教育の強化と意識向上: 雇入れ時教育、特別教育、定期的な安全衛生教育を通じて、労働者一人ひとりの安全意識を高めます。ヒヤリハット事例を共有し、具体的な危険を認識させ、安全な作業手順を徹底させるべきです 。
  • 明確な指揮命令とコミュニケーション: 作業責任者を明確にし、作業手順、声掛け・合図の徹底、複数人作業時の連携など、人的要因による事故を防ぐための指揮命令系統とコミュニケーションを強化します 。

安全は、偶然や個人の能力に依存するものではなく、計画的かつ体系的な「システム」として構築・運用されるべきものであると結論付けられます。これは、単なる「ルールを守れ」という指示から、「なぜこのルールがあるのか」「どうすればより安全になるのか」を組織全体で考え、改善していく文化への転換を意味します。企業は、安全管理をコストではなく投資と捉え、PDCAサイクル(計画-実行-評価-改善)を回しながら、継続的に安全管理システムを強化していく必要があります。特に、上下方向の手渡し作業のように普遍的に存在するリスクに対しては、個別の対策だけでなく、組織全体の安全文化とシステムを向上させることで、より本質的な労働災害の防止が可能となります。

法令は最低限の基準を示すものであり、現場の多様な状況や人間の行動特性を完全にカバーできるわけではありません。このギャップが、潜在的なリスクやヒヤリハットを生み出す温床となります。例えば、法令では「危険を及ぼす恐れがないとき」は手渡しが許容されるという例外規定がある一方で 、現場では「時間がない、面倒くさい」といった理由で危険な投げ渡しが行われることがあります 。また、男性の重量物運搬には明確な法的制限がないが、腰痛予防の推奨値が存在します 。企業は、法令遵守に加えて、現場の具体的なリスクを深く理解し、それに対応するための

実践的なガイドラインや内部規定を策定する必要があると言えます。これは、単に「禁止」するだけでなく、「なぜ禁止なのか」「どうすれば安全にできるのか」を具体的に示し、作業員が安全な選択をしやすい環境を整えることを意味します。柔軟な判断が求められる場面では、リスクアセスメントと教育を通じて、作業員自身が安全な判断を下せる能力を養うことが重要となります。

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