
🩹言葉を紡ぐ理由 ― 事故を経験した者として
私が「安全」を語り続けるようになったのは、
知識や資格がきっかけではありません。
自分が事故を経験した人間だからです。
45歳のとき、福岡都市高速道路の建設現場で、
箱桁のサービスボルト交換作業中にスプライスプレートが外れ、
左手薬指の先を挟まれて切断しました。
突然の激痛と流血。
その瞬間、何が起きたのか理解できないまま、
「まさか自分が」と何度も心の中で繰り返していました。
この現場では、私の事故だけではありませんでした。
通勤途中の死亡事故、ジャッキを足に落とした骨折、
足場から足を踏み外す転落など、大小の事故が続きました。
作業員一人ひとりの努力や注意だけでは防げなかった「何か」が、
確かにそこにあったのです。
私はその後、接合手術を受け、28日間入院。
退院後も2ヶ月にわたってリハビリを続けました。
指の機能を取り戻す訓練は、痛みとの闘いでした。
けれどその時間が、私に事故とは何かを教えてくれました。
事故は、統計の中の数字ではありません。
一人の人生の中に深く刻まれる「体験」です。
そこには痛み、後悔、恐怖、そして“守りたい”という祈りがあります。
だから私は、現場で働く人に「気をつけろ」と言うだけでは終わらせません。
どうして事故が起こるのか。
なぜ人は危険を見逃してしまうのか。
ヒューマンエラー、Safety-II、レジリエンス――
それらを“人間の行動と心理”の視点から見つめ直す。
それが、私の言葉を紡ぐ理由です。
事故を経験したことで、私は“痛みの先にある学び”を知りました。
それを伝えることが、かつての自分と同じように現場で働く人を救う力になる。
そう信じています。
事故を語ることは、過去を掘り返すことではない。
同じ痛みを、誰にも繰り返させないための“祈り”なのです。