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――安全を意識にのせ続けることの大切さ――
現場の安全を考えるとき、私は「切り離し」という心の働きが非常に重要だと感じています。
切り離しとは、いったん意識に上がったものを、「今は不要だ」「考えたくない」として意識から遠ざけることです。
その結果、切り離されたものは無意識へ回り、個人的無意識の中に蓄積されていきます。
この働きは、心を守るために必要なこともあります。
しかし、安全に関する意識まで切り離してしまうと、話は変わってきます。
たとえば、
- 危ないかもしれないという小さな違和感
- 手順を守らないことへの不安
- 指差呼称を省略していることへの引っかかり
- 「本当にこのままでよいのか」という迷い
こうしたものを「まあ大丈夫だろう」と意識から外してしまうと、安全は無意識の奥へ押しやられてしまいます。
すると、人は安全を“見ているつもり”でも、実際には安全を十分に意識していない状態になります。
人は、自分に関心のあるものには自然に注意を向けます。
反対に、興味のないもの、重要だと感じていないものには、意識が向きません。
つまり、安全を広めるためには、まず安全を「意識にのせる」ことが必要なのです。
安全は、ただ知識として知っているだけでは根づきません。
「考えること」によって、はじめて意識の中で生きたものになります。
意識するとは、考えること
人の行動の多くは、心理学でいうシステム1によって動いています。
システム1は、速く、自動的で、あまり深く考えずに働く心の仕組みです。
一方、システム2は、ゆっくり考え、注意を向け、判断し、確認する働きです。
けれども、このシステム2は意外と面倒くさがりです。
放っておけば、できるだけ楽をしようとし、なるべく働きたがりません。
現場で起こる多くの省略行動も、ここに関係しています。
- これくらいなら大丈夫
- 毎日やっているから問題ない
- 急いでいるから省いてよい
- 今まで事故がなかったから今回も大丈夫
こうした考えは、深く考えないシステム1の流れに乗って出てきやすいものです。
つまり、安全を守るためには、意識的にシステム2を起動しなければなりません。
「本当に安全か」
「手順は守れているか」
「省略していないか」
「違和感を見落としていないか」
こうして考えること自体が、安全を意識化する行為なのです。
指差呼称は、システム2を起動するための行動である
このことを考える上で、指差呼称は非常に分かりやすい例です。
指差呼称は、ただ形だけ指を差して声を出すことではありません。
本来の意味は、「対象を意識し、確認し、注意を集中させること」にあります。
たとえば、
- 電源よし
- 足元よし
- 玉掛けよし
- 周囲よし
と指差呼称を行うとき、人は一瞬立ち止まり、対象を見て、言葉にして、確認します。
この一連の動作によって、システム2が起動します。
つまり、指差呼称とは「考える行為」を外に表したものなのです。
もし指差呼称をしなければ、確認は曖昧になり、動作は流れ作業になります。
その結果、安全確認は意識から外れやすくなります。
これはまさに、安全を切り離す方向へ心が動いている状態だといえます。
だからこそ、指差呼称ができていない人には、単に「やりなさい」と命じるだけではなく、
「なぜこれが必要なのか」
「何を意識するための行為なのか」
を伝え、行動を促すことが大切です。
繰り返しが、やがてシステム1をつくる
ここで大切なのは、最初から自然にできる人は少ない、ということです。
指差呼称も、初めのうちは意識して行う必要があります。
つまり、最初はシステム2で行うのです。
- 意識して止まる
- 意識して見る
- 意識して指を差す
- 意識して声に出す
これを繰り返していくと、やがてその行為は習慣になります。
そして習慣になった行為は、ヒューリスティックとして定着し、システム1で動くようになります。
ここが非常に重要です。
最初は「考えないとできない」行為だったものが、継続によって「自然にできる」行為へ変わる。
これが安全行動の定着です。
つまり、
システム2で始めた安全行動を、継続によってシステム1に変えていく。
これが安全教育の一つの理想です。
システム1になった指差呼称が、再びシステム2を呼び起こす
さらに興味深いのは、指差呼称がシステム1で自然にできるようになると、その行為自体が再びシステム2を呼び起こすことです。
一見すると不思議ですが、これは現場ではよくあることです。
たとえば、習慣として指差呼称をしている人は、
指を差し、声を出した瞬間に、対象へ意識が向きます。
すると、その動作がきっかけとなって、頭の中では
- 本当に大丈夫か
- いつもと違わないか
- 危険はないか
といった確認が始まります。
つまり、習慣化された安全行動が、思考を呼び戻すのです。
これはとても大きな意味を持ちます。
安全確認を毎回ゼロから頑張るのではなく、
安全行動そのものが「考えるきっかけ」になるからです。
ここまでくると、安全は単なる知識ではなく、身体にしみこんだ実践になります。