
昨日は、人間の脳には「いつもの自動運転」のような働きがあるという話をしました。
心理学では、この自動的で素早い思考をSystem1と呼びます。
System1という言葉を聞くと、
「考えずに動くのだから危ないのでは?」
と思う人もいるかもしれません。
しかし、System1は決して悪者ではありません。
むしろ私たちが仕事をする上で、とても大切な働きをしています。
ベテランは、なぜ動きが速いのか
新人の頃は、何をするにも時間がかかります。
道具をどこに置くか。
どの順番で作業するか。
どこを確認するか。
一つひとつ考えながら仕事をします。
ところが経験を積むと、次に何をすればよいのかが自然に分かるようになります。
工具を取る。
確認する。
作業する。
次の準備をする。
こうした一連の動きが、いちいち頭の中で考えなくてもできるようになります。
これが熟練です。
つまり、経験を積むことで、多くの行動がSystem1でできるようになります。
だからベテランは動きが速く、無駄が少なくなります。
System1がなければ仕事は進まない
仮に、すべての作業を毎回じっくり考えなければならないとしたらどうでしょう。
ボルトを締めるたびに、
「この工具でいいか」
「右に回すのか左に回すのか」
「どのくらい力を入れるのか」
と考えていたら、仕事はなかなか進みません。
人間は繰り返すことで動作を覚え、考えなくてもできる部分を増やしていきます。
その分、難しい判断や周囲の状況確認に頭を使うことができます。
System1は、脳の負担を減らしてくれる大切な仕組みなのです。
熟練者の「何かおかしい」もSystem1
現場経験の長い人が、
「この音、いつもと違うな」
「今日は何となく作業しにくいな」
「この置き方は少し危ない気がする」
と感じることがあります。
理由をすぐに説明できなくても、何となく違和感を覚える。
このような感覚も、長年の経験がもとになっています。
過去に見たもの。
聞いた音。
経験した出来事。
失敗した記憶。
こうした情報が頭の中に蓄積されているため、少しの違いに反応できるのです。
熟練者の直感には、こうした経験の積み重ねがあります。
これもSystem1の良い働きです。
ただし、経験がいつも正しいとは限らない
ここで注意しなければならないことがあります。
経験は、とても役に立ちます。
しかし、
「今まで大丈夫だった」
という経験が、逆に危険につながることもあります。
例えば、
保護具を少し省略しても何も起こらなかった。
決められた手順を少し変えても事故にならなかった。
機械の異音があったけれど、そのまま使って問題なかった。
こうした経験が続くと、
「今回も大丈夫だろう」
という判断が自然に出てきます。
考えて危険を無視しているのではありません。
System1が過去の経験から、
「これはいつものこと」
と処理してしまうのです。
ここが安全管理では難しいところです。
「事故がなかった経験」が危険を強くすることもある
危険な行動をしたからといって、毎回事故が起こるわけではありません。
むしろ、多くの場合は何も起こりません。
だから、
「この方法でも大丈夫だった」
という経験だけが残ります。
すると、その行動が少しずつ当たり前になっていきます。
最初は少し不安だった行動でも、
1回大丈夫。
2回大丈夫。
10回大丈夫。
となれば、やがて何も感じなくなります。
危険な行動がSystem1の中に入り込み、「いつものやり方」になってしまうことがあります。
事故がなかったことと、安全だったことは同じではありません。
ここは非常に大切なところです。
だから「慣れた作業ほど確認」が必要になる
新人には、
「分からなければ聞きなさい」
「必ず確認しなさい」
と言います。
もちろん大切なことです。
しかし、安全の面ではベテランにも確認が必要です。
むしろ、慣れているからこそ、
「いつものやり方」
で進んでしまう可能性があります。
そのため、
作業前のKY。
リスクアセスメント。
指差呼称。
作業手順の確認。
こうした仕組みが必要になります。
これらは単に形式的に行うものではありません。
System1だけで作業を進めないための仕組みでもあります。
指差呼称は、自動運転を一度止める
例えば、機械のスイッチを確認するとき。
目で見ただけなら、
「いつもの位置だから大丈夫」
と流してしまうかもしれません。
しかし、
対象を見る。
指を差す。
声に出して「スイッチ、切、ヨシ!」
と確認する。
これだけで、自動的に進んでいた行動に一度区切りが入ります。
「本当にそうか?」
と確認する時間ができます。
System1を完全に止めるわけではありません。
System1に任せっぱなしにしないのです。
今日覚えてほしいこと
System1は、人間にとって必要な働きです。
慣れること。
素早く判断すること。
経験から違和感を感じること。
これらは仕事をする上で大きな力になります。
しかし、
「今まで大丈夫だった」
「いつもこうしている」
という経験が強くなると、変化や危険を見落とすことがあります。
だから、
System1をなくすのではなく、必要なところで一度立ち止まる。
これが安全では大切になります。
では、その「一度立ち止まって考える」とき、脳ではどのような働きが起きているのでしょうか。
明日は、もう一つの思考、
System2――「ちょっと待てよ」と考える脳
について考えてみたいと思います。