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認知心理学2 「見る」と「見えている」は同じではない

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2026.10.13

――目の前にあっても気づかない人間の認知

前回は、「人間はすべてを見ることができない」という話をしました。

人間の脳が一度に処理できる情報には限界があります。

だから事故が起きたときに、

「ちゃんと見ていなかった」
「もっと注意していればよかった」

だけで終わらせてはいけない。

これが前回の大きなポイントでした。

今回は、もう少し「見る」ということを掘り下げてみたいと思います。

私たちは普段、

「目に入っているのだから、見えているはずだ」

と考えがちです。

ところが、人間の「見る」という働きは、それほど単純ではありません。


目はカメラではない

カメラで現場を撮影すれば、レンズの範囲に入ったものは映像として記録されます。

では、人間の目も同じでしょうか。

違います。

目から入った情報のすべてを、私たちが同じように認識しているわけではありません。

例えば、朝の通勤途中。

いつもの駅まで歩いている間にも、たくさんのものを見ています。

前から歩いてくる人。
道路を走る車。
店の看板。
信号。
自転車。
建物。
道路標識。

ところが、家に帰ってから、

「途中にあった店の看板は何色でしたか?」

と聞かれても、覚えていないことが多いでしょう。

視界には入っていたはずです。

しかし、認識していなかった。

つまり、

「目に入る」ことと「認識する」ことは別なのです。


見るためには「注意」が必要になる

私たちの周囲には、あまりにも多くの情報があります。

そのすべてを詳しく処理していたら、脳が処理しきれません。

そこで人間は、必要だと思った情報を選んで処理します。

ここで重要になるのが**「注意」**です。

例えば、作業員がクレーンで吊られている荷を見ているとします。

吊り荷がどちらへ動くのか。

荷振れしていないか。

自分の方向へ来ないか。

当然、吊り荷に注意を向けます。

すると、吊り荷の動きはよく見えるようになります。

しかしその一方で、別の情報への注意が弱くなる可能性があります。

後ろから来た作業員。

足元の資材。

近くを走る車両。

周囲からの合図。

これらは視界に入っていたとしても、十分に認識されないことがあります。


「そこにあったのに、なぜ見えなかった?」

事故のあと、現場を確認すると、

「こんなに大きなものがあるのに、なぜ気づかなかったのだろう」

と思うことがあります。

本人に聞いても、

「見えませんでした」
「気づきませんでした」

という答えが返ってくる。

周囲から見ると不思議です。

しかし、本人が嘘をついているとは限りません。

そこに存在していたことと、本人がそれを認識していたことは別だからです。

人間は視界に入ったものを、そのまますべて意識しているわけではありません。

自分が注意を向けたものを中心に、必要な情報を選びながら認識しています。


有名な「見えないゴリラ」の実験

認知心理学には、この特徴を非常に分かりやすく示した有名な実験があります。

複数の人がバスケットボールをパスしている映像を見てもらい、特定のチームが何回パスしたかを数えてもらいます。

参加者は一生懸命、ボールの動きを追います。

その途中を、ゴリラの着ぐるみを着た人物が堂々と横切ります。

普通に考えれば、

「そんなもの、見落とすわけがない」

と思います。

ところが、パスを数えることに集中していた人の中には、ゴリラの存在に気づかなかった人がいました。

これは非注意性盲目(inattentional blindness)と呼ばれる現象の代表的な例です。

目には入っている。

しかし、注意が向いていないため、意識されない。

人間の「見る」という能力を考えるうえで、とても重要な現象です。


現場でも同じことが起こる

ゴリラの実験を聞くと、面白い心理学実験のように感じるかもしれません。

しかし、安全管理では笑い話では済みません。

例えば、

重機の誘導に集中していて、別方向から来た車両に気づかない。

材料を取り付ける位置ばかり見ていて、足元の開口部に気づかない。

電動工具の刃先を見ていて、電源コードの位置に気づかない。

玉掛け作業で吊り荷ばかり見ていて、周囲の作業員の動きに気づかない。

どれも、

「見ていなかった」のではなく、「あるものを見ることに集中していた」結果として起こる可能性があります。

ここが非常に重要です。


真面目に集中している人にも起こる

この問題を、

「注意力のない人が起こすミス」

と考えてはいけません。

むしろ、目の前の仕事に真面目に集中しているからこそ起こることがあります。

「この作業を間違えてはいけない」

「吊り荷から目を離してはいけない」

「ここを正確に合わせなければならない」

そう考えて一つの対象へ注意を集中する。

その結果、周囲への注意が弱くなる。

つまり、

集中することと、周囲を見ることは、ときとして両立しにくいのです。

「集中して作業しなさい」

という安全指導も、それだけでは十分ではないことが分かります。


「ちゃんと見ろ」では防げない

事故防止対策として、

「周囲をよく見ること」

と書くことがあります。

しかし、

「よく見る」とは、具体的にどこを見るのでしょうか。

ここまで考える必要があります。

例えば作業開始前なら、

「上を見る」
「足元を見る」
「左右を見る」
「後方を見る」

と、確認する場所を決める。

重機の移動前なら、

「前方ヨシ」
「右ヨシ」
「左ヨシ」
「後方ヨシ」

と確認する。

漠然と「周囲に注意する」のではなく、注意を向ける対象を具体的にするわけです。


指差呼称は「注意を向ける」ための行動

ここでも指差呼称が役立ちます。

例えば、

「足元、ヨシ!」

と指を差して確認する。

単に「気をつけよう」と思うだけではなく、確認する対象へ意識的に注意を向けます。

指を差すことで、見る方向を決める。

声を出すことで、確認した内容を言葉にする。

自分の声を耳でも確認する。

私は、指差呼称の大きな意味の一つは、人間の注意を確認対象へ意識的に向け直すことにあると考えています。


Stop-Look-Thinkで視野を戻す

そして、もう一つ有効なのが、私が繰り返し紹介しているStop-Look-Thinkです。

作業に集中していると、自分では視野が狭くなっていることに気づきにくくなります。

そこで、

Stop――いったん止まる。

今している作業から、一度意識を離します。

Look――周囲を見る。

目の前だけではなく、足元、左右、後方、上方などへ注意を広げます。

Think――考える。

「何か変わっていないか」
「見落としているものはないか」
「このまま続けて大丈夫か」

と考えます。

これは単なる安全確認ではありません。

自分が今、何を見ていて、何を見ていないのかを考えるメタ認知でもあります。


「見えるはず」から安全を考えない

安全管理では、

「危険なものがそこにあるのだから、見えるはずだ」

という前提を一度疑う必要があります。

危険表示を付けた。

カラーコーンを置いた。

注意看板を設置した。

だから気づくはずだ。

必ずしもそうではありません。

別のことへ注意が向いていれば、視界に入っていても十分に認識されない可能性があります。

だからこそ、

「見えるようにした」だけで終わらず、「どうすれば注意がそこへ向くのか」まで考える。

これが予防安全につながります。


人間の「見る」を過信しない

私たちは、目を開けていれば周囲を見ているように感じています。

しかし実際には、膨大な情報の中から一部を選びながら世界を認識しています。

だから、

見たつもりになる。
目の前にあっても気づかない。
一つに集中すると、別のものを見落とす。

これは人間の認知の特徴です。

大切なのは、この特徴を知ったうえで安全を考えることです。

「もっと注意しろ」

ではなく、

「どこへ注意を向ければよいのか」
「どうすれば注意を向け直せるのか」
「人間の限界をどのような仕組みで補うのか」

を考える。

人間の「見る力」を過信しないこと。

それが、事故が起きてから原因を考える安全管理ではなく、事故が起きる前に考える予防安全につながるのです。

次回は、今回何度も登場した「注意」そのものにも容量の限界があることについて、もう少し詳しく考えてみたいと思います。

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