
――「集中していれば安全」とは限らない
前回は、「目に入っている」ことと「認識している」ことは同じではない、という話をしました。
私たちは目を開けていれば、周囲のものがすべて見えているように感じます。
しかし実際には、たくさんの情報の中から必要なものを選び、そこへ注意を向けながら認識しています。
では、その「注意」は、どれくらい使えるのでしょうか。
今回のテーマは、
「注意には容量がある」
という人間の認知の特徴です。
安全管理では、
「作業に集中しなさい」
「周囲に注意しなさい」
「足元にも注意しなさい」
「重機にも注意しなさい」
といった指示をよくします。
しかし、ここに一つ問題があります。
人間は、それらすべてに同じ強さで注意を向け続けることができるのでしょうか。
答えは「できない」です。
注意は無限に使えるものではない
認知心理学では、人間が情報を処理するために使える能力には限界があると考えます。
周囲から入ってくるすべての情報を、同じように詳しく処理することはできません。
そこで私たちの脳は、
「今、何が重要なのか」
を選び、そこへ限られた注意を振り向けます。
これは欠点というより、人間が日常生活を送るために必要な仕組みです。
もし目に入るもの、聞こえる音、身体に感じるものをすべて同じように意識していたら、それだけで頭の中は情報でいっぱいになってしまいます。
必要なものを選び、必要のないものを処理しない。
人間の脳は、そうすることで効率よく働いているのです。
注意を「コップの水」と考えてみる
注意の容量を、コップに入った水だと考えてみましょう。
コップに入る水の量には限界があります。
一つの作業に水をたくさん使えば、ほかのことに使える水は少なくなります。
注意も同じように考えることができます。
難しい作業に多くの注意を使っている。
そこへ、
「周囲にも注意しろ」
「足元も確認しろ」
「合図も聞け」
「次の作業も考えろ」
と次々に要求していく。
本人はすべてに注意しようとしていても、使える注意の量そのものには限界があります。
ですから、どこかへの注意が弱くなる可能性があります。
新人ほど注意をたくさん使う
ここで、現場教育で特に考えておきたいことがあります。
新人とベテランでは、同じ作業をしていても必要とする注意の量が違う
ということです。
例えば、ベテラン作業員なら簡単にできる作業でも、新人にとってはそうではありません。
「工具の持ち方はこれでいいのか」
「次は何をすればいいのか」
「この位置で合っているのか」
「先輩に怒られないだろうか」
一つひとつ考えながら作業しています。
つまり、新人は作業そのものに多くの注意を使っています。
そこへ、
「周囲も見ろ」
と言われても、本人は見ようとしているかもしれません。
しかし、すでに注意の多くを目の前の作業に使っているため、周囲へ十分な注意を振り向けられないことがあります。
これを単純に、
「新人だから注意力がない」
と考えてはいけません。
むしろ、
新人だからこそ、作業そのものに多くの注意を必要としている
と考えた方が、安全教育としては適切でしょう。
ベテランなら大丈夫なのか
では、ベテランなら注意の問題は起こらないのでしょうか。
そうとも限りません。
経験を積むことで、作業そのものに必要な注意は少なくなっていきます。
車の運転を考えると分かりやすいでしょう。
運転を始めたばかりの頃は、
アクセル、ブレーキ、ハンドル、ミラー、ウインカー、周囲の車……。
一つひとつ意識して操作します。
しかし慣れてくると、多くの操作をそれほど意識しなくてもできるようになります。
これは人間の優れた能力です。
ところが、慣れには別の問題もあります。
いつもの作業だから。
今まで大丈夫だったから。
この程度なら問題ない。
そう考えて、確認そのものが簡略化されることがあります。
新人には新人の注意の問題があり、ベテランにはベテランの注意の問題があります。
だから、
「経験がある=見落とさない」ではありません。
二つのことを同時にするとどうなるのか
注意の容量を考えると、「ながら作業」の危険性も分かりやすくなります。
例えば、作業しながら別の人と話す。
歩きながらスマートフォンを見る。
運転しながら別のことを考える。
機械を操作しながら無線の内容を理解する。
私たちは普段、二つ以上のことを同時にできているように感じています。
しかし実際には、注意をそれぞれへ振り分けたり、素早く切り替えたりしながら処理しています。
簡単なこと同士なら問題にならない場合もあります。
しかし、一方の作業が難しくなったり、突然予想外のことが起きたりすると、注意が一気にそちらへ向きます。
その瞬間、もう一方への注意が弱くなります。
現場で怖いのは、この瞬間です。
「急に話しかけられた」だけでも注意は動く
例えば、電動工具を使って作業している人に、横から声を掛けたとします。
「ちょっと、次の材料どこ?」
ほんの短い質問です。
しかし作業員は、
「何を聞かれた?」
と相手の言葉を理解し、
「次の材料は……」
と記憶から情報を探し、
「向こうにあるよ」
と答えます。
その間にも工具は動いているかもしれません。
本人にとっては、ほんの数秒の会話です。
しかし、その数秒間に注意の一部が作業から会話へ移っています。
だから現場では、
「作業中の人へ、いつ声を掛けるのか」
も安全管理の一つとして考える必要があります。
「もっと集中しろ」だけでは解決しない
ヒューマンエラーが起きると、
「集中力が足りなかった」
という原因が挙げられることがあります。
しかし、
「次からもっと集中すること」
を対策にして終わってよいのでしょうか。
人間の注意に限界がある以上、
本人の集中力だけに頼る対策には限界があります。
大切なのは、
「なぜ、その場面で多くの注意が必要になったのか」
「同時にいくつのことを求めていたのか」
「作業員の注意を奪うものはなかったか」
「確認しなければならないことが多すぎなかったか」
と考えることです。
人ではなく、人を取り巻く作業条件を見ることが必要になります。
注意を使わせすぎない安全管理
では、どうすればよいのでしょうか。
一つは、
頭の中だけで全部処理させないこと
です。
例えば、
- 作業手順を分かりやすくする
- チェックリストを使う
- 確認する順番を決める
- 不要な情報を減らす
- 危険箇所を見やすくする
- 作業中に不要な声掛けをしない
- 難しい作業では一度に複数の指示を出さない
- 必要に応じて作業をいったん止めて確認する
こうした工夫があります。
つまり、
「もっと注意しなさい」ではなく、「注意しやすい環境をつくる」
という発想です。
指差呼称は注意の向け先を明確にする
ここでも指差呼称が役立ちます。
「周囲に注意しよう」
だけでは、注意をどこへ向ければよいのか曖昧です。
それに対して、
「足元、ヨシ!」
と指を差す。
「電源、ヨシ!」
「吊り荷の下、人なし、ヨシ!」
と対象を決めて確認する。
こうすると、限られた注意を今確認すべき場所へ意識的に向けることができます。
指差呼称は注意力そのものを無限に増やすものではありません。
限られた注意を、必要なところへ向けるための方法だと考えると、その意味が分かりやすくなります。
Stop-Look-Thinkで注意をリセットする
作業を続けていると、注意はどうしても目の前の仕事へ向かいます。
そのこと自体は悪くありません。
問題は、自分の注意がどこへ向いているのか、自分自身では気づきにくいことです。
そこで、
Stop――いったん止まる。
Look――周囲を見る。
Think――このままで大丈夫か考える。
一度作業を止めることで、目の前の作業に偏っていた注意を周囲へ戻します。
「今、自分は何ばかり見ていたのだろう」
「ほかに見なければならないものはないか」
と考える。
これもメタ認知です。
注意力ではなく「注意の使わせ方」を考える
安全管理では、つい人を評価してしまいます。
「あの人は注意力がある」
「あの人は注意力がない」
しかし、それだけでは事故防止につながりません。
同じ人でも、
疲れているとき。
焦っているとき。
慣れない作業をしているとき。
周囲が騒がしいとき。
複数のことを同時に求められているとき。
必要な注意の量は変わります。
だからこそ安全管理では、
「この人は注意力があるか」ではなく、「この作業は人間にどれだけ注意を要求しているか」
という見方も必要です。
これは大きな視点の転換だと思います。
人間の限界を知れば、事故の前に対策できる
人間の注意には容量があります。
これは訓練だけで完全になくせるものではありません。
だからこそ、その限界を前提として安全を考えます。
注意することを増やし続けるのではなく、
本当に注意すべきものを分かりやすくする。
覚えることを増やすのではなく、
チェックリストなどで頭の外へ出す。
同時にいくつものことを求めるのではなく、
一つずつ確実に処理できる環境をつくる。
そして、ときどき立ち止まり、自分の注意がどこへ向いているのかを見直す。
これが、人間の認知限界を理解した予防安全です。
安全とは、
「人間が頑張って注意することでつくるもの」だけではありません。
人間には限界があることを理解し、
その限界を補える仕事のやり方や環境をつくることも、安全管理なのです。
次回はさらに一歩進めて、「注意を向けているつもりでも、人間は重要なものを見落とすことがある」という認知の特徴について考えてみたいと思います。