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認知心理学5 人間は本当に二つのことを同時にできるのか

ブログ

2026.10.16

――「ながら作業」と注意の限界

私たちは毎日の生活の中で、いくつものことを同時にしています。

歩きながら話す。

料理をしながらテレビを見る。

電車に乗りながらスマートフォンを見る。

仕事でも、

パソコンで資料を作りながら電話に答える。

人の話を聞きながらメモを取る。

作業しながら次の段取りを考える。

こうしたことを普通に行っています。

そのため、

「人間はいくつものことを同時にできる」

と思ってしまいます。

しかし、本当にそうでしょうか。

今回は、認知心理学から「ながら作業」と注意の限界について考えてみたいと思います。


「同時にやっている」ように感じているだけかもしれない

例えば、テレビを見ながら家族と話しているとします。

テレビを見ている。

相手の話も聞いている。

二つのことを同時にできているように感じます。

ところが、テレビの内容が面白くなった瞬間、

「えっ、何て言った?」

と聞き返した経験はないでしょうか。

耳には相手の声が入っていたはずです。

しかし、テレビへ注意が強く向いたため、話の内容を十分に処理できなかった。

反対に、会話が重要になればテレビの内容が頭に入らなくなります。

つまり、人間は何でも同じように並行処理しているわけではありません。

限られた注意を振り分けたり、注意する対象を切り替えたりしながら処理しているのです。


歩きスマホは分かりやすい例

街を歩いていると、スマートフォンを見ながら歩いている人をよく見かけます。

本人は、

「スマホも見ているし、前も見ている」

と思っているかもしれません。

確かに目を上げれば前方を見ることはできます。

しかし、

メッセージを読む。

文章の意味を理解する。

返信を考える。

文字を入力する。

これらにも脳の情報処理能力を使います。

その分、周囲の人、自転車、信号、段差などへの注意は弱くなります。

本人は歩く能力を失ったわけではありません。

問題は、

歩くこととスマートフォンの操作に、限られた認知資源を分けている

ことです。


現場にも「ながら作業」はある

これは日常生活だけの話ではありません。

現場にも同じような場面があります。

例えば、

電動工具を使いながら、横にいる人と話す。

重機を誘導しながら、無線で別の連絡を聞く。

資材を運びながら、次の作業場所を探す。

歩きながら書類を見る。

作業をしながら、次の工程のことを考える。

一つひとつを見ると、

「それくらいならできるだろう」

と思うかもしれません。

そして、実際に普段はできています。

だからこそ危険なのです。


「できる」と「安全にできる」は違う

ここは非常に大切なところです。

二つのことを同時に行っても、毎回失敗するわけではありません。

ほとんどの場合、何事もなく終わります。

すると、

「自分はできる」

という経験が積み重なります。

しかし、

二つの作業ができていることと、十分な注意を保ったまま安全にできていることは同じではありません。

普段は問題なくても、突然状況が変わったらどうでしょう。

人が飛び出してきた。

機械が予想外の動きをした。

足元に障害物があった。

無線から重要な指示が入った。

その瞬間、一方へ強く注意を向ける必要が生まれます。

すると、もう一方への注意が弱くなります。

事故は、こうした状況が変化した瞬間に起こることがあります。


慣れた作業だから「ながら」ができる

それでも、

「私は作業しながら普通に話せる」

という人もいるでしょう。

確かに、慣れた作業ではそれが可能です。

歩くことを考えてみましょう。

私たちは、

「右足を出す」

「次に左足を出す」

などと考えながら歩いていません。

慣れた行動の多くは、意識をあまり使わなくてもできるようになります。

だから、歩きながら会話ができます。

現場作業でも同じです。

経験を積むことで、作業の一部は自動的にできるようになります。

これは人間の素晴らしい能力です。

しかし、ここにも落とし穴があります。


いつもの作業に「想定外」が入る

慣れた作業なら、それほど注意を使わなくてもできます。

しかし、

いつもの作業に、いつもと違うことが起きた瞬間

は別です。

例えば、いつもの通路を歩きながら同僚と話していた。

昨日までは何もなかった場所に、今日は資材が置かれていた。

歩くことは自動的にできる。

会話もできる。

ところが、環境だけが変わっています。

会話に注意を使っているため、足元の変化への気づきが遅れる。

そこで転倒する。

この場合、

「歩くことができなかった」

わけではありません。

変化した状況へ注意を切り替えることが遅れた

と考えることができます。


作業中に話しかけることも考えてみる

前回までにも少し触れましたが、現場では「話しかける側」の配慮も必要です。

機械を操作している人。

寸法を確認している人。

玉掛けをしている人。

高所で作業している人。

こうした人へ、

「ちょっといい?」

と声を掛ける。

話しかけた側には、ほんの一言かもしれません。

しかし作業している人は、注意を

作業 → 会話

へ切り替えます。

そして会話が終われば、

会話 → 作業

へ戻します。

問題は、この「戻る」ときです。

「どこまで確認した?」

「次は何をするところだった?」

「このボルトは締めた?」

作業の流れが一度途切れることで、抜けや間違いが起こる可能性があります。


中断も「ながら作業」と同じように考える

安全を考えるときには、同時作業だけでなく作業の中断にも注意が必要です。

例えば、

点検中に電話が鳴った。

電話に出る。

数分話す。

電話を切る。

そして点検を再開する。

本人は、

「さあ、続きから」

と思います。

しかし、本当に正しい続きから再開できるでしょうか。

一つ前の項目を飛ばすかもしれません。

反対に、同じところを二度確認するかもしれません。

「ここは確認したはず」

と思い込むこともあります。

つまり、人間の認知限界を考えると、

作業をしながら別のことをするだけでなく、途中で別のことへ注意を移すことにもリスクがある

のです。


「ながら作業禁止」だけで終わらせない

では、

「ながら作業は禁止!」

と決めれば解決するでしょうか。

もちろん、危険な作業では明確に禁止する必要があります。

しかし、それだけでは十分ではありません。

現場では、どうしても作業中に情報が入ってきます。

無線連絡。

他の作業員からの声掛け。

予定変更。

元請からの指示。

機械の警報。

完全に情報を遮断することはできません。

だからこそ、

別の情報が入ってきたときに、どう行動するか

まで決めておく必要があります。


「まず止める」という選択肢

私はここでも、

Stop-Look-Think

が使えると考えています。

作業中に別のことを求められた。

そのまま作業を続けながら対応しない。

まず、

Stop――作業を安全な状態で止める。

次に、

Look――周囲と作業状態を確認する。

そして、

Think――今、何を優先すべきか考える。

電話に出る必要があるなら、工具を安全な状態にしてから出る。

人の話を聞く必要があるなら、一度作業を止めてから聞く。

無線に対応するなら、今の作業をどこまで行ったのか確認してから注意を移す。

「ながら」で処理するのではなく、

一つずつ処理する

という考え方です。


中断したら「少し戻る」

もう一つ、私は安全教育で取り入れやすい方法があると思います。

それは、

作業を中断したら、再開時に少し戻って確認する

ことです。

例えば、点検の5番目で電話が入った。

電話が終わったから、6番目から始める。

そうではなく、

4番目、あるいは5番目から確認し直す。

少し手間は増えます。

しかし、

「どこまでやった?」

と記憶だけに頼る必要がなくなります。

チェックリストを使っているなら、どこまで終わったのかも分かりやすくなります。

人間の記憶や注意を信用しないのではありません。

人間の能力には限界があるから、仕組みで補うのです。


新人には特に「一つずつ」

第3回でも触れましたが、新人は作業そのものに多くの注意を使います。

ベテランなら無意識にできることでも、

「これで合っているかな」

「次は何だったかな」

と考えながら作業しています。

そこへ、

「あれもやって」

「これも覚えて」

「終わったら次はこっち」

と次々に指示を出す。

指示した側は効率がよいと思っているかもしれません。

しかし新人の頭の中では、処理しなければならない情報が増えていきます。

新人教育では、

一度に多くを求めるより、一つずつ確実にできるようにする。

これも認知心理学から考える安全教育です。


「器用な人だから大丈夫」ではない

マルチタスクが得意に見える人もいます。

仕事が早い。

いくつものことを同時に処理している。

周囲から見ると非常に器用です。

しかし、安全管理では、

「この人は器用だから大丈夫」

という考え方には注意が必要です。

人間である以上、使える認知資源には限界があります。

普段は処理できていても、

疲労。

焦り。

騒音。

作業変更。

機械トラブル。

人からの声掛け。

こうした条件が重なれば、必要な認知資源は増えていきます。

いつもできているから、今回もできるとは限りません。


人間に合わせて仕事をつくる

安全管理というと、

「人を教育する」

ことを中心に考えがちです。

もちろん教育は必要です。

しかし認知心理学を学ぶと、もう一つの考え方が見えてきます。

それは、

人間の能力に合わせて仕事のやり方を考えること

です。

人間が同時に処理できる量には限界があるなら、一度に多くを求めない。

中断すると抜ける可能性があるなら、再開時の確認方法を決める。

注意が分散するなら、危険作業中の不要な声掛けを減らす。

覚えきれないなら、チェックリストを使う。

人間を仕事に無理やり合わせるのではなく、

仕事の側を人間に合わせる。

これは予防安全を考えるうえで、とても重要な視点です。


「注意しながらやる」から「一つずつ確実に」へ

私たちは、いろいろなことを同時にできているように感じています。

しかし、その裏では限られた注意を振り分け、切り替えながら情報を処理しています。

だから、

「これくらいなら同時にできる」

と考えるのではなく、

「本当に同時にする必要があるのか」

と考えてみる。

作業中に別のことが入ってきたら、

一度止める。

中断したら、

少し戻って確認する。

新人には、

一つずつ伝える。

そして、人間の注意力だけに頼らず、チェックリストや作業手順などで補う。

人間の認知限界を知ると、安全対策は、

「もっと集中しろ」

から、

「集中しやすい仕事のやり方をつくろう」

へ変わっていきます。

人間は万能ではありません。

しかし、自分たちの限界を知ることができれば、その限界を補うことはできます。

それが、事故が起きてから人を責める安全管理ではなく、事故が起きる前に人間の特性を考える予防安全なのです。

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