
事故が起きなかったのは、なぜだろう
今週は5回にわたり、レジリエンスについて考えてきました。月曜日は基本的な考え方、火曜日は「予測する力」と「監視する力」、水曜日は「対応する力」と「学習する力」、そして木曜日は、これらの能力を組織全体で発揮することの重要性について説明しました。
最終日の今日は、少し視点を変えて考えてみたいと思います。
「なぜ、今日も事故が起きなかったのでしょうか」
建設現場では、毎日多くの作業員が働いています。高所作業、重機作業、資材の運搬など、危険を伴う作業も少なくありません。
それでも、多くの現場では事故を起こすことなく、一日の仕事を終えています。
これまでの安全管理では、事故が発生すると、その原因を調査し、再発防止対策を考えることに力を入れてきました。これは当然必要なことです。
しかし、事故が起きなかった日について、「なぜ安全に仕事ができたのか」と考える機会は、どれほどあるでしょうか。
私は、ここに安全管理をさらに発展させるための大切な視点があると考えています。
Safety-IとSafety-IIの違い
安全管理の考え方には、Safety-I(セーフティ・ワン)とSafety-II(セーフティ・ツー)があります。
Safety-Iは、事故やトラブルなど、うまくいかなかったことに注目し、その原因を調べて再発を防ごうとする考え方です。
例えば、作業員が転倒した場合、床が濡れていなかったか、通路に障害物がなかったか、作業方法に問題がなかったかを調べます。そして、同じ事故を繰り返さないための対策を考えます。
一方、Safety-IIは、普段の仕事がなぜうまくいっているのかに注目し、その成功を支えている条件や行動を理解しようとする考え方です。
例えば、同じ通路を多くの作業員が安全に歩いているとします。
そこには、通路を整理整頓している人がいるかもしれません。床が濡れていることに気づき、すぐに拭き取った人がいるかもしれません。荷物を運ぶ際に、周囲の人の動きを確認している作業員もいるでしょう。
こうした一つひとつの行動が、安全な状態を支えているのです。
Safety-IIは、事故が起きなかったという結果だけでなく、その結果を生み出した日々の働きに目を向けます。
予定どおりに進まなくても、安全に仕事ができる理由
建設現場では、前日の作業間の連絡・調整で翌日の作業を決め、当日の朝礼で作業員全員に周知します。
しかし、これまで説明してきたように、実際の作業がすべて予定どおりに進むわけではありません。
例えば、午前中に予定していた資材の搬入が遅れたとします。
そのまま待っていれば、後の工程にも影響するかもしれません。かといって、焦って別の作業を始めれば、ほかの業者との作業の重なりなど、新たな危険が生じる可能性があります。
そこで、職長が元請に状況を報告し、関係者で作業の順番を見直します。変更内容を作業員に伝え、安全を確認してから作業を進めます。
その結果、事故を起こすことなく一日の仕事を終えることができました。
このとき、何が安全を支えたのでしょうか。
搬入の遅れに気づいた監視する力、後の工程への影響を考えた予測する力、作業を調整した対応する力、そして、その経験を次の計画に生かす学習する力です。
つまり、レジリエンスの4つの能力が働いたことで、予定とは違う状況でも安全に仕事を進められたと考えることができます。
安全は、作業員の小さな判断によっても支えられている
私は長年、建設現場で仕事をしてきました。その経験から感じるのは、現場の安全は、管理者が決めたルールや作業手順だけで守られているわけではないということです。
もちろん、ルールや手順は安全の基本です。しかし、実際の現場では、その日の天候、作業場所、ほかの業者の動きなど、さまざまな条件が変化します。
作業員は、その変化を見ながら仕事をしています。
資材を運ぶ前に通路を確認する。重機が近づけば作業を止める。いつもと違う状態に気づけば職長に相談する。
どれも特別な行動ではありませんが、こうした判断が事故を防ぐことにつながっています。
ただし、ここで誤解してほしくないことがあります。
Safety-IIとは、作業員が自分の判断で自由に作業方法を変更してよいという考え方ではありません。
作業条件が変わった場合には、必要に応じて作業を止め、職長や元請と相談し、安全な方法を確認することが必要です。
決められた手順を守ることと、変化に適切に対応することは、対立するものではありません。
むしろ、両方がそろうことで、安全に仕事を進めることができるのです。
組織のレジリエンスがSafety-IIを支える
木曜日には、福島第二原子力発電所の東日本大震災への対応を、組織のレジリエンスという視点から考えました。
非常時には、一人の優秀な管理者だけですべてに対応することはできません。現場の状況を把握する人、情報を集める人、必要な判断を行う人、それぞれが役割を果たす必要があります。
そして、現場からの情報が管理者に伝わり、必要であれば従来の方針を変更できることが重要になります。
ここで大切なのが心理的安全性です。
作業員が危険を感じたとき、安心して報告できる。職長が問題を見つけたとき、元請に遠慮なく相談できる。管理者も、自分の判断が適切でなかったと分かれば、それを認めて修正できる。
そのような関係があれば、組織全体のレジリエンスを発揮しやすくなります。
私は、心理的安全性が確保され、それぞれの人が持つ能力を十分に発揮できる職場こそ、変化に強い組織になると考えています。
Safety-IIでは、日常の仕事がうまく進む理由を理解することが重要です。その理由を探していけば、個人の判断だけでなく、情報共有や職場の人間関係、管理者の対応など、組織全体の働きにも目を向ける必要があることが分かります。
Safety-Iを捨てるわけではない
ここで強調しておきたいことがあります。
Safety-IIは、これまでのSafety-Iを否定するものではありません。
事故が発生すれば原因を調査し、再発防止対策を講じることは、これからも必要です。
しかし、それだけでは、普段の仕事がなぜ安全に進んでいるのかを十分に理解できません。
事故から学ぶことと、安全に仕事が進んだ経験から学ぶこと。この両方が必要なのです。
例えば、ヒヤリハットが発生したときにも、危険な状態がなぜ生じたのかを調べるだけでなく、なぜ事故に至らなかったのかを考えてみます。
作業員が早く気づいたからでしょうか。職長が作業を止めたからでしょうか。それとも、事前に設けていた安全設備が役立ったからでしょうか。
ただし、単に運が良かっただけという場合もあります。事故にならなかった理由を、事実に基づいて確認することが重要です。
こうして考えることで、事故を防いだ要因を見つけ、次の仕事に生かすことができます。
これが、Safety-IにSafety-IIの視点を加えるということなのです。
日常生活から安全を考える力を育てる
私は日頃から、周囲の状況を観察し、次に何が起こるかを考えるようにしています。
駅の混雑した通路を歩くときも、前を歩く人の動きや、横から来る人の様子を見ながら歩きます。
そのような行動を特別なことだとは考えていません。
しかし、振り返ってみると、そこにはレジリエンスの予測する力や監視する力が働いています。
また、自分が判断を間違えたと感じたときには、なぜそのような判断をしたのかを考え、次に生かすようにしています。
私は、このような日々の積み重ねが、仕事での判断力を育てることにもつながると考えています。
以前から勧めているStop・Look・Think(止まる・見る・考える)も、そのための方法の一つです。
慣れた行動を一度止め、周囲の状況を確認し、これからどうするべきかを考える。この小さな習慣が、変化に気づく力を育てていくのです。
安全文化は、毎日の行動から生まれる
私は、安全文化とは、そこで働く人たちが、特別に意識しなくても安全な行動を選ぶことが普通になっている状態だと考えています。
危険に気づけば報告する。分からなければ質問する。予定と違うことが起これば、無理をせず相談する。そして、うまく対応できた経験を職場全体で共有する。
こうした行動が日常の習慣として定着すれば、レジリエンスを発揮しやすい職場になっていきます。
そのためには、作業員一人ひとりの努力だけでなく、職長や管理者が安全な行動を認め、必要な情報を共有できる環境を整えることが欠かせません。
今週は、レジリエンスの4つの能力について説明してきました。
最後に、もう一度考えてみてください。
「なぜ、今日も事故が起きなかったのでしょうか」
その答えは、単に危険がなかったからではなく、誰かが危険に気づき、先を考え、必要な対応を行っていたからかもしれません。
そして、その行動を見つけ、学び、職場全体に広げていくことが、これからの安全管理に必要なのではないでしょうか。
事故が起きなかった理由を考えること。それが、レジリエンスを生かしたSafety-IIへの第一歩なのです。