
心理学は、人間の行動を実験で確かめる学問
これまで、システム1・システム2、認知バイアス、レジリエンスなど、人間の判断や行動について説明してきました。
今週は少し趣向を変えて、心理学の実験を紹介したいと思います。
心理学というと、人の性格を分析したり、心の中を読み取ったりする学問だと思っている人もいるかもしれません。しかし、心理学は、人間がどのように物事を見て、考え、判断し、行動するのかを、実験や観察によって科学的に研究する学問です。
その研究の中には、私たちが普段当たり前だと思っていることを覆す、興味深い実験が数多くあります。
今回は、その代表的なものとして「見えないゴリラ実験」を紹介します。

バスケットボールのパスを数えてください
1999年、心理学者のダニエル・サイモンズとクリストファー・チャブリスは、人間の注意について興味深い実験を行いました。
実験では、白いシャツを着たチームと黒いシャツを着たチームが、それぞれバスケットボールをパスし合う映像を参加者に見せました。
参加者に与えられた課題は、白いシャツを着たチームが何回パスをしたかを数えることでした。
映像を見ながら、白いシャツの人たちの動きを追い、パスの回数を数えていきます。
ところが、映像の途中で思いがけないことが起こります。
ゴリラの着ぐるみを着た人物が画面の中に現れ、中央で胸をたたいてから立ち去るのです。
ゴリラは一瞬だけ現れるわけではありません。画面の中に約9秒間も映っています。
さて、参加者はこのゴリラに気づいたのでしょうか。
約半数の人がゴリラを見落とした
実験の結果は、驚くべきものでした。
よく知られているゴリラの映像を使った条件では、参加者の約半数が、途中に現れたゴリラに気づかなかったのです。
映像を見ていたにもかかわらず、目の前を横切ったゴリラを見落としていました。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。
参加者は、白いシャツのチームのパスを数えるという課題に注意を集中していました。そのため、課題とは関係のないゴリラの存在に気づきにくくなったのです。
この現象を、心理学では「非注意性盲目(ひちゅういせいもうもく)」と呼びます。
難しい言葉ですが、簡単にいえば、目に入っている情報であっても、そこに注意が向いていなければ気づかないことがある、ということです。
私たちは、目を開けていれば周囲のものが見えていると思っています。しかし、目に入ることと、その存在に気づくことは同じではありません。
人間の注意には限界があり、何か一つのことに集中すると、それ以外の情報を見落とすことがあるのです。
建設現場でも同じことが起こる
この実験は、建設現場の安全を考えるうえでも重要な意味を持っています。
例えば、作業員が電動工具を使って、正確な位置に穴を開ける作業をしているとします。
作業員は、穴を開ける位置や工具の動きに注意を集中しています。正確に作業しようとすること自体は、決して悪いことではありません。
しかし、その間に、近くで別の作業が始まったり、作業場所の周囲に資材が置かれたりしても、その変化に気づかない可能性があります。
また、玉掛け作業では、つり荷や合図者の動きに注意を集中するあまり、周囲に近づいてきた別の作業員の存在を見落とすことも考えられます。
もちろん、実際の事故には複数の要因が関係しますから、こうした見落としだけで事故の原因を説明することはできません。
しかし、「作業員は周囲を見ているのだから、危険があれば気づくはずだ」という考え方には問題があることを、この実験は教えてくれます。
「よく注意しなさい」だけでは防げない
安全教育では、「周囲をよく確認しましょう」「注意して作業しましょう」と指導することがあります。
しかし、見えないゴリラ実験から分かるように、人間は注意しているからこそ、別のものを見落とすことがあります。
つまり、注意力が足りない人だけに起こる問題ではありません。
では、どうすればよいのでしょうか。
まず必要なのは、一人の作業員の注意力だけに頼らないことです。
例えば、重機の作業範囲には立入禁止措置を設ける、資材の置き場所を決めて通路を確保する、混在作業が発生する場合には関係者で調整する、といった対策が考えられます。
これらは、作業員が危険に気づかなかった場合でも、事故につながりにくくするための対策です。
また、作業員自身も、作業の区切りで意識的に周囲を確認する習慣を身につけることが大切です。
ここで役立つのが、以前から紹介しているStop・Look・Thinkです。
一度作業を止める。周囲を見る。そして、状況に変化がないか、次に何が起こるかを考える。
指差呼称も、確認する対象に意識を向けるための有効な方法の一つです。ただし、決まった動作を繰り返すだけではなく、何を確認するのかを理解して実施する必要があります。
レジリエンスの「監視する力」との関係
先週は、レジリエンスの4つの能力について説明しました。その中の一つが「監視する力」です。
監視する力とは、現在の状況を把握し、いつもと違う変化に気づく能力です。
しかし、今回の実験が示しているように、人間は周囲のすべての情報に注意を向けることはできません。
だからこそ、どこに注意を向けるべきかを考えることが重要になります。
建設現場では、前日の作業間の連絡・調整で翌日の作業内容や作業場所を確認し、当日の朝礼で作業員全員に周知します。
このような情報共有によって、作業員は自分の作業だけでなく、周囲でどのような作業が行われるのかを知ることができます。
そして、作業中に予定と違う状況が生じれば、必要に応じて作業を止め、職長や元請と相談することが大切です。
一人ですべてを見落とさないように頑張るのではなく、組織として変化に気づき、情報を共有できる仕組みをつくることが、安全につながるのです。
自分は見落とさないと思っていませんか
見えないゴリラ実験で興味深いのは、多くの人が実験の結果を聞くまで、自分も同じような見落としをするとは考えにくいことです。
私たちは、自分が見ているものについて、かなり正確に把握できていると思いがちです。
しかし、人間の脳は、目に入ったすべての情報を同じように処理しているわけではありません。注意を向けた情報を優先して処理しているのです。
私は、安全管理では、この人間の特性を理解することが非常に重要だと考えています。
事故が起きたときに、「なぜ見ていなかったのか」「なぜ気づかなかったのか」と作業員を責めるだけでは、十分な対策にはなりません。
何に注意を集中していたのか。危険を見落としやすい作業環境ではなかったか。周囲の変化を知らせる仕組みはあったのか。
こうした点まで考える必要があります。
人間は、見ていても見落とすことがある。だからこそ、見落とすことを前提に安全対策を考える必要があるのです。
これが、今回の心理学実験から学んでほしいことです。
明日は、文字を読むことと色を判断することがぶつかり合う「ストループ効果」を紹介します。人間は、分かっていることでも、思いどおりに判断できるとは限りません。