
――寒の入りと、節分の物語――
朝、外に出ると、空気がきりっと張りつめている。
吐く息が白く、足元の地面はうっすらと霜で白い。
「寒くなったなぁ」と感じるこの時期を、昔の人は「寒の入り」と呼びました。
寒の入りとは、小寒から大寒までの約30日間、
一年で最も寒さが厳しい時期の始まりを意味します。
暦の上の話ではありますが、不思議と体感とも重なります。
この時期は、身体も心も、少し無理がききません。
朝は体が動きにくく、手袋をせずに外に出ると指先がかじかむ。
道路には、見えにくい凍結――いわゆるブラックアイスバーン。
「大丈夫だろう」という一瞬の油断が、転倒や事故につながります。
昔の人は、寒の入りを
「気を引き締める合図」として受け止めていました。
寒さに耐えるだけでなく、
食事を整え、体を休め、静かに春を待つ。
自然と向き合う、知恵の時間だったのだと思います。

節分は、ほんとうは年に四回ある
寒の入りの少し先に、節分があります。
多くの人が「節分=2月」と思っていますが、
実は節分は季節の変わり目ごとに年4回あります。
- 立春の前
- 立夏の前
- 立秋の前
- 立冬の前
では、なぜ春の節分だけが、今も行事として残っているのでしょうか。
それは、昔の日本では
「一年の始まりは春」だったからです。
春を迎える前は、言い換えれば
「古い一年の終わり」。
目に見えない不安、病、災い――
それらを「鬼」という形にして、外へ追い出す。
それが豆まきの意味でした。
豆をまくのは、「弱くならない」ため
豆は、生命の象徴です。
「魔(ま)を滅(め)する」――魔滅(まめ)。
言葉遊びのようですが、
そこには生きる力を取り戻す願いが込められています。
「鬼は外、福は内」。
これは誰かを追い払う言葉ではありません。
自分の中にある油断、慢心、無理。
それらを一度外に出し、
また新しい一年を迎えるための、心の整理なのです。

いわしを食べるのは、身体を守るため
節分にいわしを食べる習慣も、意味があります。
いわしは傷みやすく、匂いが強い。
だからこそ、邪気を遠ざけると考えられてきました。
でも、それだけではありません。
寒い時期、脂ののったいわしは、
体を内側から温め、栄養を補う理にかなった食べ物でした。
昔の行事は、
精神論だけでなく、ちゃんと生活の知恵でもあったのです。
太巻き寿司は、ちょっと現代的な話
節分といえば、太巻き寿司。
最近ではすっかり定着しましたが、
これは実は比較的新しい習慣です。
海苔業界のPRがきっかけ、という話もあります。
だからといって、悪いわけではありません。
人が集まり、同じ方向を向いて、
黙って一本食べる――
それもまた、節目を意識する行為だからです。
大切なのは、
「なぜ食べるのか」を知ったうえで、
季節を感じることなのだと思います。
寒さの底は、春の入口
寒の入りは、厳しい時期です。
でも、同時に
春に一番近い冬でもあります。
足元に注意し、
体をいたわり、
心を少し整える。
節分は、
「もう少しで春ですよ」
という、静かな合図なのかもしれません。
寒さの中でこそ、
次の季節を迎える準備を――
そんなことを思い出させてくれる、
冬の終わりの物語です。