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吸い殻から見える人の行動心理

ブログ

2026.08.25

先日、お墓参りのため泉南方面まで車で移動していました。

途中、飲み物を買うためにコンビニへ入り、駐車場に車を停めました。車から降りたとき、目に入ってきたものがあります。

大量のタバコの吸い殻です。

一本、二本というレベルではありません。

「よくこれだけ捨てたものだ」

そう思うほど、まとまって捨てられていました。

私はタバコを全く吸いません。これまでの人生でも、タバコそのものにほとんど興味を持ったことがありません。

ところが、私の親父はヘビースモーカーでした。

昔ですから、家には「タバコ盆」までありました。

今ではあまり見なくなりましたが、灰皿やタバコなどを置いておく専用の盆です。それくらい、私が子どもの頃にはタバコが身近にありました。

それなのに私は吸わなかった。

なぜなのでしょう。

親が吸えば、子どもも吸うとは限らない

心理学には「観察学習」という考え方があります。

身近な人の行動を見て、その行動を学習していくものです。

そう考えれば、毎日のように父親がタバコを吸う姿を見て育った私は、タバコを身近なものとして受け入れても不思議ではありません。

しかし、人間の学習はそれほど単純ではありません。

父親が吸っている。

煙が出る。

臭いがする。

灰皿には吸い殻がたまる。

こうしたものを繰り返し経験して、それを不快に感じていたとすれば、反対方向への学習が起こることも考えられます。

つまり、

「タバコ=自分には必要のないもの、不快なもの」

という価値づけです。

私自身、子どもの頃に「父親のタバコが嫌だったから絶対に吸わない」と明確に決心した記憶があるわけではありません。

むしろ気がついたら、タバコには全く興味がなかった。

もしかすると、父親の喫煙を長年見てきた環境そのものが、私のタバコに対する価値づけに影響していたのかもしれません。

同じタバコなのに、見えているものが違う

ここが心理学の面白いところです。

喫煙する人にとってタバコには、

「一服すると落ち着く」
「気分転換になる」
「休憩になる」

といった価値があるのでしょう。

もちろんニコチンへの依存もありますから、単なる嗜好だけで説明できるものではありません。

一方、私にはタバコを吸うことで得られる報酬がありません。

煙、臭い、健康への影響、お金がかかる。

こちらの方が先に見えます。

つまり、同じ一本のタバコを見ていても、頭の中で行われている「価値づけ」が違うのです。

リスク認知についての研究でも、人は自分で選択するリスクや、自分に利益がある行為について、そのリスクを小さく評価する傾向が指摘されています。喫煙も、その具体例として取り上げられています。

「危険なのになぜ吸うのだろう」

吸わない私から見ればそう思います。

しかし喫煙者側から見れば、リスクだけではなく、そこから得られる主観的な利益も存在しているわけです。

では、あの「吸い殻の山」は何だったのか

ここで先日見た光景に戻ります。

私は、あの吸い殻の山を見て、別の可能性を考えました。

その場所で何人もの人が一本ずつタバコを吸い、一本ずつ捨てた結果ではないのではないか。

車の灰皿にたまっていた吸い殻を、まとめて駐車場に捨てたのではないか。

もちろん、実際に捨てるところを見たわけではありませんから推測です。

しかし、もしそうだとすれば、心理学的にはさらに興味深い問題が出てきます。

自分の車はきれいにしたい。でも……

車の灰皿に吸い殻がたまる。

いっぱいになれば捨てなければなりません。

自分の車の中に置いておくのは嫌だ。

そこで灰皿の中身を外へ捨てる。

もしこのような行動だったとすれば、

「自分の空間をきれいにするために、汚れを公共の空間へ移した」

ことになります。

本人にとっては、

「車の灰皿をきれいにした」

という行動なのかもしれません。

しかし、一歩引いて見れば、

「自分のゴミを他人の場所へ捨てた」

という行動です。

同じ行動でも、どちら側から見るかによって意味が全く変わります。

ここには「自分にとっての利益」が強く働いているように思います。

自分の車から吸い殻がなくなるという利益は、その場ですぐに得られます。

一方、その吸い殻を誰かが掃除しなければならないという不利益は、知らない誰かが将来負担します。

自分の利益は「今、目の前」にある。しかし、他人の不利益は「見えないところ」にある。

この違いは、人間の判断を考える上で重要です。

安全管理にも同じ構造がある

ここまで考えて、私は建設現場の安全にも同じことがあると思いました。

「少しくらい手順を省いた方が早い」

「保護具を着けない方が作業しやすい」

「ここを通った方が近い」

作業者本人には、すぐに得られる利益があります。

しかし、その行動によって事故が起きる可能性や、周囲の人への影響は、まだ目の前にはありません。

だから、

「今の小さな利益」が「将来起こるかもしれない大きなリスク」に勝ってしまう。

そして一度それで何も起こらなければ、

「前も大丈夫だった」

という経験まで加わります。

これが繰り返されれば、不安全行動がその人にとっての「普通」になってしまいます。

人を責めるだけでは行動は変わらない

吸い殻を大量に捨てる行為を見れば、「マナーが悪い」で終わらせたくなります。

もちろん、やってはいけない行為です。

しかし安全を心理学から考える立場では、そこで思考を止めないことが大切だと思っています。

「なぜ、その人にとって、その行動が選択肢になったのか」

ここまで考える。

認知バイアスも同じです。

人間の認知の偏りは、単純な欠陥ではありません。限られた情報と認知能力の中で、素早く判断して生活するために備わった仕組みでもあります。だからこそ、「正しく考えなさい」と言うだけでは簡単にはなくなりません。

昨日、コンビニの駐車場で見た吸い殻の山。

タバコを全く吸わない私だからこそ、

「どうして、こんなことができるのだろう?」

という疑問を持ったのかもしれません。

そして考えていくと、タバコの問題を越えて、人間の行動そのものが見えてきます。

人は、自分にとって目の前にある利益には気づきやすく、その行動によって見えない誰かが負担する不利益には気づきにくい。

安全管理でも大切なのは、単に「そんなことをしてはいけない」と注意することだけではありません。

その人には、その行動がどう見えているのか。

なぜ、その行動を選んだのか。

そこまで考えることで、初めて本当の意味での行動変容につながるのではないでしょうか。

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