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巨人・阿部監督「電撃辞任」に覚えた、あまりにも危険な違和感
2026年5月26日。
読売ジャイアンツ・阿部慎之助監督が、長女への暴行容疑報道を受け、電撃辞任した。
逮捕報道から、わずか半日。
あまりにも早すぎる決着だった。
世間はこう言うだろう。
「コンプライアンス対応としては迅速だった」
「球団として当然の判断だ」
しかし、私はどうしても割り切れない。
むしろ今回の件には、現代社会の危うさが凝縮されているように見えてならない。
それは、
“人間を支える緩衝材が消えた社会”
の恐ろしさである。
■ 娘さんは、本当にそこまで望んでいたのか?
報道では、通報後、父親が警察に連れて行かれる姿を見て、長女本人が泣き崩れていたという。
この場面に、私は非常に重いものを感じた。
人間の感情は、そんなに単純ではない。
家族の中で感情が爆発することはある。
怖かった。
止めてほしかった。
誰かに間に入ってほしかった。
だから助けを求めた。
しかし、それは必ずしも、
「父親を社会的に抹殺したい」
という意味ではない。
むしろ多くの場合、
「関係を壊したい」のではなく、
「これ以上悪化させたくない」
というSOSに近い。
ところが現代社会は、その“グレーゾーン”を許さない。
通報が入る。
即、警察。
即、報道。
即、謝罪。
即、辞任。
まるで工場の自動ラインのように、感情を置き去りにした処理が進んでいく。
そして最後に残るのは、
「自分が相談したせいで、家族が壊れた」
という、取り返しのつかない罪悪感だけかもしれない。
■ 巨人軍は「危機管理」をしたのではない
“避難”したのである
今回の球団対応を見ていて、私が最も強く感じたのはこれだ。
これは危機管理ではない。
単なる“避難回避”である。
世間から叩かれる前に切る。
スポンサーが騒ぐ前に切る。
SNSが炎上する前に切る。
つまり、
「会社を守るための超高速尻尾切り」
である。
もちろん、組織として一定の対応は必要だろう。
しかし、本来の危機管理とは、
「まず当事者を隔離して終わり」
ではない。
何が起きたのか。
家族はどういう状態なのか。
本人はどう認識しているのか。
再発防止のために何が必要なのか。
泥臭く、時間をかけて向き合うことだ。
だが今の社会は、それを許さない。
“考える前に切る”
これが正義になってしまった。
しかし、このやり方を続ければ、組織から確実に消えるものがある。
それが、
「心理的安全性」
である。
■ 「助けを求めたら終わる社会」で、人は本音を話さなくなる
今回の件を見て、多くの人が無意識に学習している。
「ああ、問題を表に出したら、人生が吹き飛ぶのか」
と。
すると人はどうなるか。
隠す。
黙る。
耐える。
誤魔化す。
これは安全心理学でいう“負の学習”そのものだ。
建設現場でも同じである。
ミスを報告したら怒鳴られる。
だから隠す。
ヒヤリハットを書いたら犯人探しが始まる。
だから書かない。
こうして事故の芽は地下に潜る。
組織は「静か」になる。
しかしそれは健全だからではない。
誰も本音を言わなくなっただけだ。
■ 「不完全な人間」を許容できない社会
人間は失敗する。
感情的にもなる。
時には間違える。
家族だって綺麗事では済まない。
本来、社会にはその“揺らぎ”を吸収するための緩衝材が必要だった。
昔なら、
近所のおっちゃん、
親戚、
学校、
会社の上司、
地域、
そういう存在が間に入った。
「まあ、一回落ち着け」
「話を聞こう」
「すぐ白黒つけるな」
そうやって、人間社会は壊れずに済んでいた。
しかし今は違う。
白か黒か。
加害か被害か。
辞めるか残るか。
その中間が消えてしまった。
まるでデジタル信号のような社会である。
だが、人間は本来アナログな存在だ。
だから今、多くの人の心が壊れている。
■ 最後に
私は暴力を肯定する気は全くない。
しかし同時に、
「人間を一瞬で社会的に切断するシステム」
にも、強い危うさを感じている。
本当に必要なのは、
早すぎる処分ではなく、
傷ついた家族がどう再生していくかを支えることではないのか。
組織とは、本来、人間を守るために存在するもののはずだ。
もし“保身ファースト”だけが残るなら、そこにあるのは組織ではなく、
ただの冷たいシステムである。
そして今、私たちはその冷たさに、少しずつ慣れ始めている。
それが、一番怖い。