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【緩衝材なき社会の恐怖】

ブログ

2026.05.30

巨人・阿部監督「電撃辞任」に覚えた、あまりにも危険な違和感

2026年5月26日。
読売ジャイアンツ・阿部慎之助監督が、長女への暴行容疑報道を受け、電撃辞任した。

逮捕報道から、わずか半日。
あまりにも早すぎる決着だった。

世間はこう言うだろう。

「コンプライアンス対応としては迅速だった」
「球団として当然の判断だ」

しかし、私はどうしても割り切れない。

むしろ今回の件には、現代社会の危うさが凝縮されているように見えてならない。

それは、

“人間を支える緩衝材が消えた社会”

の恐ろしさである。


■ 娘さんは、本当にそこまで望んでいたのか?

報道では、通報後、父親が警察に連れて行かれる姿を見て、長女本人が泣き崩れていたという。

この場面に、私は非常に重いものを感じた。

人間の感情は、そんなに単純ではない。

家族の中で感情が爆発することはある。
怖かった。
止めてほしかった。
誰かに間に入ってほしかった。

だから助けを求めた。

しかし、それは必ずしも、

「父親を社会的に抹殺したい」

という意味ではない。

むしろ多くの場合、

「関係を壊したい」のではなく、
「これ以上悪化させたくない」

というSOSに近い。

ところが現代社会は、その“グレーゾーン”を許さない。

通報が入る。
即、警察。
即、報道。
即、謝罪。
即、辞任。

まるで工場の自動ラインのように、感情を置き去りにした処理が進んでいく。

そして最後に残るのは、

「自分が相談したせいで、家族が壊れた」

という、取り返しのつかない罪悪感だけかもしれない。


■ 巨人軍は「危機管理」をしたのではない

“避難”したのである

今回の球団対応を見ていて、私が最も強く感じたのはこれだ。

これは危機管理ではない。

単なる“避難回避”である。

世間から叩かれる前に切る。
スポンサーが騒ぐ前に切る。
SNSが炎上する前に切る。

つまり、

「会社を守るための超高速尻尾切り」

である。

もちろん、組織として一定の対応は必要だろう。

しかし、本来の危機管理とは、

「まず当事者を隔離して終わり」

ではない。

何が起きたのか。
家族はどういう状態なのか。
本人はどう認識しているのか。
再発防止のために何が必要なのか。

泥臭く、時間をかけて向き合うことだ。

だが今の社会は、それを許さない。

“考える前に切る”

これが正義になってしまった。

しかし、このやり方を続ければ、組織から確実に消えるものがある。

それが、

「心理的安全性」

である。


■ 「助けを求めたら終わる社会」で、人は本音を話さなくなる

今回の件を見て、多くの人が無意識に学習している。

「ああ、問題を表に出したら、人生が吹き飛ぶのか」

と。

すると人はどうなるか。

隠す。

黙る。

耐える。

誤魔化す。

これは安全心理学でいう“負の学習”そのものだ。

建設現場でも同じである。

ミスを報告したら怒鳴られる。
だから隠す。

ヒヤリハットを書いたら犯人探しが始まる。
だから書かない。

こうして事故の芽は地下に潜る。

組織は「静か」になる。
しかしそれは健全だからではない。

誰も本音を言わなくなっただけだ。


■ 「不完全な人間」を許容できない社会

人間は失敗する。

感情的にもなる。

時には間違える。

家族だって綺麗事では済まない。

本来、社会にはその“揺らぎ”を吸収するための緩衝材が必要だった。

昔なら、

近所のおっちゃん、
親戚、
学校、
会社の上司、
地域、

そういう存在が間に入った。

「まあ、一回落ち着け」
「話を聞こう」
「すぐ白黒つけるな」

そうやって、人間社会は壊れずに済んでいた。

しかし今は違う。

白か黒か。
加害か被害か。
辞めるか残るか。

その中間が消えてしまった。

まるでデジタル信号のような社会である。

だが、人間は本来アナログな存在だ。

だから今、多くの人の心が壊れている。


■ 最後に

私は暴力を肯定する気は全くない。

しかし同時に、

「人間を一瞬で社会的に切断するシステム」

にも、強い危うさを感じている。

本当に必要なのは、

早すぎる処分ではなく、

傷ついた家族がどう再生していくかを支えることではないのか。

組織とは、本来、人間を守るために存在するもののはずだ。

もし“保身ファースト”だけが残るなら、そこにあるのは組織ではなく、

ただの冷たいシステムである。

そして今、私たちはその冷たさに、少しずつ慣れ始めている。

それが、一番怖い。

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