
「知っている」と「実行する」の間にあるもの
先日、電車に乗っていると、車内は満員ではないものの、何人かが立っている状態でした。
座席を見ると、隣の席に荷物を置いている人がいます。
そこで、ふと思いました。
なぜ、荷物を膝の上に置かないのだろうか。
高齢になると周囲への注意が狭くなり、立っている人に気づきにくくなることがあります。自分の隣の座席を、一時的に自分の領域のように感じてしまう心理も考えられます。
しかし、少し考えてみると、これは単なる認知の問題だけではありません。
道徳やモラルの問題として考えれば、日本の電車内では、車内の混み具合に関係なく、荷物は膝の上に置くのが基本ではないでしょうか。
空いているから置いてよいのか
隣の座席が空いていると、
「今は誰も座らないだろう」
「必要になったら荷物をどければよい」
と考える人がいます。
確かに、その時点では誰にも迷惑をかけていないように見えます。
しかし、荷物が置かれている座席を前にして、
「荷物をどけてください」
と声をかけられる人ばかりではありません。
特に、高齢者や子ども連れ、体調の悪い人などは、座りたくても遠慮してしまうことがあります。
つまり、荷物を置いた本人には悪意がなくても、その行動が誰かに「座りにくさ」を与えている可能性があります。
モラルとは、注意されたら行動を改めることではありません。
注意される前に、相手の立場を想像して行動することではないでしょうか。
人は楽な方を選びやすい
人は、意識しなければ楽な行動を選びます。
荷物を膝の上に置くよりも、隣の座席に置いた方が楽です。手も空きますし、身体への負担も減ります。
これは、心理学でいう「システム1」の働きとして考えることができます。
システム1は、素早く自動的に判断します。
「席が空いている」
「ここに置けば楽だ」
「混んでいないから大丈夫だ」
このような判断は、ほとんど考えることなく行われます。
一方で、
「次の駅で人が乗ってくるかもしれない」
「立っている人が座りたいかもしれない」
「荷物を置くことで、相手に声をかけさせてしまう」
と考えるには、少し立ち止まる必要があります。
これが、ゆっくり考える「システム2」の働きです。
モラルを守るには意思が必要
多くの人は、電車内で荷物を座席に置かない方がよいことを知っています。
安全帯を使わなければならないことを知っていても、面倒だから使わない人がいるのと同じです。
つまり、
知っていることと、実際に行動することは別です。
モラルを守るためには、知識だけでなく意思が必要です。
自分の楽さを少し我慢して、他者への配慮を優先する意思です。
誰も見ていない時でも行う。
混んでいなくても行う。
注意されなくても行う。
それが、モラルを守るということではないでしょうか。
習慣になれば、意思の負担は小さくなる
もっとも、毎回強い意思を振り絞らなければモラルを守れないということではありません。
最初は意識して行っていた行動も、繰り返すことで習慣になります。
電車に乗ったら、荷物は膝の上に置く。
降りる人を先に通す。
通路を塞がない。
このような行動が習慣になれば、その都度深く考えなくても自然にできるようになります。
安全行動も同じです。
作業を始める前に安全帯を確認する。
機械を使う前に点検する。
異常を感じたら一度止まる。
正しい行動を繰り返すことで、モラルや安全は、その人の習慣として定着していきます。
高齢者だけの問題ではない
今回、私が目にしたのは高齢者でした。
しかし、これは高齢者だけの問題ではありません。
若い人でも、スマートフォンに夢中になり、周囲が見えなくなることがあります。荷物を隣に置いたまま、画面だけを見ている人もいます。
年齢に関係なく、人は自分の世界に入り込むと、周囲への配慮を失いやすくなります。
だからこそ必要なのが、メタ認知です。
自分の行動を一歩引いて見ることです。
「今、自分は周囲が見えているだろうか」
「自分の楽さを優先していないだろうか」
「この行動で困る人はいないだろうか」
と、自分自身に問いかけることです。
Stop・Look・Think
電車内で荷物を膝に置く。
それだけの小さな行動ですが、そこには人の認知、習慣、意思、モラルが表れています。
人は、放っておけば楽な方へ流れます。
だからこそ、一度立ち止まることが必要です。
Stop――いったん止まる。
Look――周囲を見る。
Think――自分の行動が適切か考える。
モラルとは、立派なことを語ることではありません。
誰も見ていない時に、当たり前のことを当たり前に行うことです。
電車内の一つの荷物から、そんなことを考えました。